『誕生日が命日!?』にまつわる謎!?

竜馬が京都・伏見の近江屋で暗殺に遭った日は奇しくも誕生日と同じ11月15日なのだが、命日については15日と16日のどちらか判然としていない。
 竜馬の墓碑には「慶応三丁卯十一月十六日闘死」と刻まれ、明治政府に墓碑の管理費を請求した京都市の控えには「慶応三年丁卯十一月十六日死旧高知藩坂本竜馬直柔」とある。冊子・維新勤王志士の祭壇・京都霊山招魂社には「慶応三年十一月十六日、京都に傷死」と公式には16日が命日になっている。
 だが、常宿になっていた伏見・寺田屋お登勢がつくった竜馬の位牌には「土州藩、慶応三年丁卯十一月十六日、寺田屋」と刻まれていたものを「十六日」の「」のところをわざわざ「」と刻み直してある。
 先の公式文書の?闘死?と?傷死?という違いも気にはなるが、有名人の死亡書に一日の空白があるのはどういうことなのだろうか? 即死に近かったといわれている竜馬の死だが、意外にもしばらくは生きていたということなのかもしれない。