2004-11-01から1ヶ月間の記事一覧

【今日の竜馬は?】江戸に滞在…

●竜馬29歳・文久三年(1863年11月)●・『江戸に滞在する』 先月、勝塾の塾頭になり、勝海舟に従って、江戸に滞在している。 このころ攘夷派の志士たちは各地で弾圧されることになる。(写真は、先ごろe-Bayで高額で落札されたグリルサンドイッチのパロディサイ…

【今日の竜馬は?】上関に係留する

●竜馬31歳・慶應元年(1865年11月29日)●・『大坂より、上関へ至る』 竜馬は大坂から船で、長崎へ行く道すがら。現在の柳井市から西の上関へ到着して係留したようだ。 この旅では長州藩と桜島丸使用権について話し合う目的があったようだ。

小説・『龍馬に会った男』

竜馬と中岡慎太郎の暗殺は今でも謎が多く、真犯人がダレなのかはわかっていない。そのため、小説や解説書も多く出されている。この新刊本もそのうちのひとつ。 『龍馬に会った男』(安土 弁著・文藝書房1100円) 内容は暗殺犯人は? 近江屋でピストルが発砲さ…

【今日の竜馬は?】近藤長次郎も海舟門下に

●竜馬28歳・文久二年(1862年11月27日ごろ!?)●・『近藤長次郎を誘って、海舟門下に』 竜馬と近藤とは幼馴染みで、ちょうど江戸で遊学中だったために、勝海舟の弟子となっていた竜馬は、門下に入るように促している。 この年、竜馬は脱藩。生麦事件などが起こ…

ふたりの?龍?を回想する

『青雲の志 龍馬回想』森田恭二著 1050円 竜馬と河田小龍のふたりにスポットを当てた本だ。著者は小龍の子孫に当たることから、竜馬と小龍の本を出すきっかけとなっている。 小龍は、漂流のためアメリカに渡ったジョン・万次郎を取り調べて、『漂巽紀略(ひ…

【今日の竜馬は?】土佐・立川から高知へ

●竜馬24歳・安政五年(1858年11月25日)●・『立川を出立し、自宅へ戻る』 「立川」は他国から土佐への最初の関所があったところ。また、土佐から他国への最後の集落があった場所で「立川御殿」があった。おそらく、水戸藩士らとはこの立川で面談したのではな…

【今日の竜馬は?】大坂を出立する

●竜馬24歳・安政五年(1858年11月24日)●・『水戸藩士たちと面談』 昨日に続いての会談となっている。時代の流れを感じながらも竜馬はまだ動いていない。●竜馬31歳・慶應元年(1865年11月24日)●・『大坂を出立する』 この年、神戸海軍操練所が廃止され、竜馬…

【今日の竜馬は?】水戸藩士たちと話す

●竜馬24歳・安政五年(1858年11月23日)●・『水戸藩士と面談して、土佐藩の内情を伝える』 面談したのは、住谷寅之介・大胡聿蔵・吉田健蔵・根本正之介ら。「戊午の密勅」と「安政の大獄」にからんで、諸藩の遊説とその調査ため、水戸藩士たちは同年10月11日…

【今日の竜馬は?】薩長商社の設立を画策する

●竜馬32歳・慶應二年(1866年11月22日ごろ!?)●・『広沢兵助と会見し「商社示談箇条書」を作成する』 11月下旬、薩摩藩士の五代才助を伴い、下関に行き、長州藩士の広沢(真臣)と会談、薩長合弁商社設立を計画して「商社示談箇条書」を作る。取り決めのよう…

北海道で竜馬を育成!?

竜馬の手紙が1600万円あまりで落札されたというニュースをココでも流したことがあるが、その手紙を落札したのが、竜馬をたたえる記念館を札幌市に作ろうとしている無名のNPO法人『北海道坂本龍馬記念館実行委員会』だ。 同会は2010年に記念館を札幌で開館…

【今日の竜馬は?】取巻抜六になって手紙を書く

●竜馬32歳・慶應二年(1866年11月20日)●・『「取巻抜六」と自称し、寺田屋のお登勢に宛に手紙を出す』 寺田屋のお登勢は京都の尊皇派の志士たちの後援者のひとり。一時お龍も寺田屋で働いていて世話になっていた。 竜馬の変名のひとつが取巻抜六(とりまき・…

【今日の竜馬は?】尊皇派の志士へ手紙を書く

●竜馬24歳・安政五年(1858年11月19日)●・『住谷寅之介・大胡聿蔵らに返書を書く』 住谷と大胡は水戸藩士。前日に手紙をもらったためにその返事を書いたもの。内容は、後日、ふたりが高知へ訪れているので、話しを聴きたいとでも書いたようだ。 この年竜馬は…

【今日の竜馬は?】尊皇派の会合に出席する

●竜馬24歳・安政五年(1858年11月18日)●・『住谷寅之介・大胡聿蔵より手紙が届く』 住谷と大胡は尊皇攘夷派の水戸藩士で、このころ関西で遊説していた。竜馬へもこの考え方を広めようとしていたのではないか。●竜馬28歳・文久二年(1862年11月18日)●・『土佐…

【今日の竜馬は?】竜馬、海援隊士に見守られながら埋葬される

●竜馬33歳・慶應三年(1867年11月17日)●・『海援隊士達が近江屋へ駆け付ける』 竜馬が惨殺されて、関西近郊にいた海援隊士たちは幕府側の警戒網をかいくぐってぞくぞくと集まってきている。駆けつけたのは、沢村惣之丞、陸奥陽之助、白峰駿馬、渡辺剛八、野…

【今日の竜馬は?】才谷屋梅太郎の変名を使う

●竜馬32歳・慶應二年(1866年11月16日)●・『小銃購入の依頼状を溝淵広之丞へ書く』 竜馬はこのとき、変名として有名な才谷梅太郎を使っている。才谷は坂本家の本家である才谷屋の屋号から取っている。仲間内では竜馬のことを「才谷屋」と呼ぶことも多かった。…

【今日の竜馬は?】竜馬、死す!

●竜馬33歳・慶應三年(1867年11月15日)●・『福岡藤次の下宿を二度に渡り訪ねる』 福岡(孝弟)は土佐藩士。大政奉還に尽力した人物。福岡はこの日、不在だった。・『中岡慎太郎が近江屋へ到来、そこへ岡本健三郎・菊屋峰吉が来る』 岡本は土佐藩士で竜馬とは親…

【今日の竜馬は?】竜馬、誕生日♪

●竜馬1歳・天保六年(1835年11月15日)●・『土佐国高知城下上町本丁筋一丁目に生まれる』 竜馬は郷士坂本八平直足の次男としてこの日誕生している。●竜馬32歳・慶應二年(1866年11月15日)●・『小銃の購入について溝淵広之丞に会う』 溝淵は土佐藩士で、竜馬…

【今日の竜馬は?】暗殺前日近江屋の二階へ

●竜馬33歳・慶應三年(1867年11月14日)●・『潜伏先を近江屋の二階にする』 竜馬は身の危険を感じていたのだろうか、それまで潜伏していた土蔵から近江屋の二階へ移動した。・『永井尚志を訪ねる』 幕臣である永井を訪ねて面談している。・『坂本清次郎に手紙…

【今日の竜馬は?】王政復古の根回しで使者を送る

●竜馬33歳・慶應三年(1867年11月13日)●・『王政復古確立のため、岡内俊太郎と中島作太郎を土佐と長崎へそれぞれ派遣する』 岡内と中島は海援隊士。竜馬は内乱を防ぐために幕府の勢力を完全に削ぐことを考えたようだ。 薩長の武力討伐の動きをけん制する意味…

【今日の竜馬は?】玄瑞、晋作と飲み明かす

●竜馬28歳・文久二年(1862年11月12日)●・『久坂玄瑞・高杉晋作らと万年屋で会飲する』 武市半平太を訪ねて来た長州藩の改革派である久坂や晋作と出会い、酒を飲み明かしたようだ。万年屋というのは京都の料亭(!?)だろうか。 この年、竜馬は久坂とは頻繁に会…

【今日の竜馬は?】幕臣と仲良くなる!?

●竜馬33歳・慶應三年(1867年11月11日)●・『永井尚志と面談する』 永井は幕臣で、長崎の海軍伝習所の伝習総取締役を務め、勝海舟とも旧知の仲。また、大政奉還を推し進めた人物でもある。このため、竜馬は今後の日本の話しなどをしたようだ。・『永井尚志に…

【今日の竜馬は?】人切り半次郎と出会う

●竜馬33歳・慶應三年(1867年11月10日)●・『福岡藤次と共に永井尚志を訪ねる』 福岡は、土佐藩士で後藤象二郎を補佐し、大政奉還の際には尽力した。永井は幕臣で第一次長州征伐の際に長州側を糾弾したひとり。ただ、その寛大な処置によって大目付の役職を追…

あなたは海援隊へ入隊できる!?『海援隊約規』

竜馬と海援隊は切っても切れない。竜馬が活躍できたのも海援隊士らがサポートしたおかげだともいえるだろう。その関係は新撰組のような縦割りの集団でもなかったし、当時の主従関係や師匠と弟子という関係でもなかったようだ。一応、資料の意味も含めて『海…

【関連ニュース】萩博物館完成!目玉は晋作!?

山口県萩市堀内に建設中だった『萩博物館』がこのたび完成して公開された。 外観は城下町の武家屋敷風。目玉は、松陰と松下村塾のコーナー。松陰が両親や兄弟に旅先などから出した手紙を順に展示してあるとか。久坂玄瑞や前原一誠ら門下生の史料なども併せて…

【今日の竜馬は?】竜馬、世界の話をする

●竜馬29歳・文久三年(1863年11月7日)●・『京都福井藩邸において松平春嶽に拝謁する』 春嶽は尊皇派の志士たちを後援していた。竜馬もその恩恵を受けていたひとりだった。●竜馬33歳・慶應三年(1867年11月7日)●・『陸奥陽之助にあて今後の海援隊の経営や「世…

【今日の竜馬は?】鉄砲を撃つ!

●竜馬21歳・安政二年(1855年11月6日)●・『仁井田浜における徳弘孝蔵の砲術稽古に参加』 徳弘は砲術と絵画の塾を高知に開いていた。竜馬は徳弘から砲術を学んでいた。仁井田浜は塩汲みや地曳網漁で栄えた浜だったという。現在は浦戸湾の埋め立てによって昔の…

【今日の竜馬は?】竜馬、大地震に遭う!

●竜馬20歳・安政元年(1854年11月5日)●・『土佐大地震(寅の大変)起こる』 最初の地震は11月4日だったらしいが、土佐では翌日の今日の揺れの方が激しかったので?寅の大変?といわれている。竜馬は伊予の婚家川島家の子息・龍太郎をつれている時に地震に遭遇…

【今日の竜馬は?】竜馬、志士として旅に出る

●竜馬27歳・文久元年(1861年11月4日ごろ!?)●・『国暇の延長を願い安芸国坊ノ砂に向かう』 この年、竜馬は武市半平太の土佐勤皇党へ加盟しようやく志士として目覚め始めたころ。剣術修行のためとして土佐藩に国暇の許可を得ていたのが満期になり、その延長を…

【今日の竜馬は?】竜馬、礼をいわれる

●竜馬29歳・文久三年(1863年11月3日)●・『横井小楠、手紙で竜馬と近藤長次郎に礼を伝える』 この手紙は勝海舟へ宛てた手紙。横井は福井藩に招聘され松平春嶽の相談役となっている。このため竜馬ら志士とも交流があった。このお礼は、竜馬らが海舟の命で福井…

【今日の竜馬は?】タバコ屋で三岡八郎と会談

●竜馬33歳・慶応三年(1867年11月2日)●・『三岡八郎と煙草屋にて会談』 三岡は福井藩士で三岡義知の長男として生まれた。名は義由、幼名は石五郎、後に八郎を通称としている。横井小楠に師事し、藩財政を研究し改革に尽力した。提唱した「殖産興業策」が有名…