2003-11-01から1ヶ月間の記事一覧
竜馬の愛刀といえば名刀『吉行』。切れ味抜群の坂本家の家宝の刀を竜馬が欲しがるのも無理はない。その入手方法は、小説などでは次姉お栄が脱藩時に与えたことになっているが、その事実はないらしい。その真相は…… 龍馬は慶応2年12月、先祖のものを持って…
ちょっと古い新聞ネタ。m(_ _)m(長崎新聞)『長崎・松が枝のボウリング発祥の地に記念碑建立 日本ボウリング場協会(本部東京、池田朝彦会長)が社団法人化三十年を記念し、ボウリング発祥の地の長崎市松が枝町に記念碑を建立。(※6月)二十二日、除幕式があっ…
龍馬の干支について、辰年か、午(馬)年と考えてしまいがちになるのだが…… これが単なる未(ひつじ)年なのだ! 龍馬の生まれ年は、1835(天保6)年。その年の干支は、乙未(きのとひつじ)。『ひつじ年』なのだ。辰でも馬でもない。つまり龍馬は干支とは…
(京都新聞) ちょっと古いのだが、なんか面白い記事なので、そのまま掲載してしまう(ラクチンだし♪)。今現在も見えるのだろうか!? 『大阪府東大阪市の司馬遼太郎記念館の天井に、坂本竜馬の顔にそっくりな染みが浮かび上がり、来館者の話題を呼んでいる。 染…
(長崎新聞11/14付)『 長崎市の中通り商店街振興組合(松本豊晴理事長)が制作していた日本写真術の開祖、上野彦馬(一八三八―一九〇四)の石像が完成した。日本の近代化に貢献した幕末の志士、坂本竜馬を撮影する彦馬の姿を再現。設置場所は未定だが、来年一…
『竜馬がゆく』など小説の中では、竜馬と千葉重太郎が開国論者であった勝海舟を切りに行き、話しを聞くうちに感銘を受けて竜馬は弟子入りしてしまうというシーンがあるが、ほんとうに竜馬は勝を切りに行ったのだろうか? 結論的には、切りに行ったのではなく…
竜馬が性病の梅毒だったという話がある。う〜ん、イメージダウン!? そのウワサの発端は、明治の自由民権論者である中江兆民が、「龍馬が梅毒であった」と言っていたというもの。それは中江兆民が直接、書いたものではなく、弟子の幸徳秋水が「兆民先生」とい…
竜馬が結婚したのはお龍だったが、一般的にはその前の剣術修行のときに小千葉道場の千葉定吉の長女・佐那子と婚約していたというのが知られた話。だが…… 通説では、『竜馬が目録を授けられた後、千葉定吉から佐那子との婚約を許された。その際千葉家から坂本…
江戸に出てきた竜馬は北辰一刀流の千葉定吉の桶町の「小千葉道場」で剣術修行をした。安政五年一月に目録を伝授されている。この目録を従来、一般的には「剣術の免許皆伝」だと思われている。だが、この目録はよくテレビの時代劇の姫とか女中がやっている?薙…
竜馬は、通称で「坂本竜馬」。戸籍などの記載されるいわゆる本名は「坂本直柔(なおなり)」、または「直陰(なおかげ)」で、直柔、直陰は、普段は使われない忌み名で、名前を呪いから守るために日本では古くから行われていた習慣。竜馬は、特に直陰の?陰?の字…
その名は?カオ?さん♪土佐勤王党平井収二郎の妹の加尾(かほという説もあり)は、龍馬より4歳下で幼馴染み。加尾は、山内容堂の妹友姫が京都の三条公睦に嫁いだため、その侍女として、京都の三条家に仕えた。その後、元土佐勤王党員のちの警視総監西山直次郎…
河田小龍というと、土佐の絵師で情報通、ジョン万次郎の漂流を記録、新しい考え方を持っていた。竜馬はこの小龍と会ったことで開眼し、その後に大きな影響を与えたといわれている。 ところが、竜馬の現存している手紙には一切この小龍のことが書かれていない…
竜馬は生まれたときから、背中に馬のたてがみのような毛が生えていたなどという話しがあるぐらいに、竜馬と背中の毛は定説になっているが、ほんとうに怪毛は生えていたのだろうか? これはやはり証言から推測するしかないが、以下の3つの証言がある。・高木…
竜馬とお龍が日本で最初の新婚旅行(これについてはまた後日・笑)に行ったときに、カステラをお弁当に持っていったという記録がある。さすが竜馬、新し物好きだねぇ〜! この記載があるのは、『千里駒後日譚』(せんりのこまごじつたん・お龍からの聞き書き)…
竜馬が死ぬまで(!?)肌身離さず持っていたものがある。それはナニかというと?訓戒書(事の善悪・是非を教えさとし、いましめる言葉を書き留めたもの)?だ! これは竜馬が19歳で江戸に剣術修行にでかけるときに、父・八平から授けられたもの。そんなに大事なこと…
知るひとぞ知る全国にある?竜馬会?。 ざっと数えただけで、全国に84もあった。いわゆるその地方の竜馬ファンが会員だろうが、こんな組織はちょっとスゴイ! アメリカ、フランス、ドイツまで竜馬会かあるのには、ちょっと驚いた。いちばん多い県はやはり高知…
司馬遼太郎の『竜馬がゆく』の中にも出てくる長崎の丸山町の料亭・花月には、大広間の龍の間の柱に残る刀の傷跡がある。松本良順と遊びに来た坂本竜馬が残したものといわれている。 物語では、竜馬は幕府との決戦を覚悟して亀山社中の仲間と飲み明かし、長州…
竜馬がまだ日根野道場に通っていたころのこと。父坂本八平のいいつけで、高知の郊外の幡多郡の土工を監督したことがある。 工夫を使うことがうまい竜馬は、テキパキと仕事を指図して順調に進むと評判になったという。工夫たちは異口同音に「竜馬さんが指図す…
竜馬といえば、愛妻のお龍や北辰一刀流千葉定吉の娘・千葉佐那子といった女性が浮かんできて、モテモテだったイメージだが、ほんとうのところどうだったのだろう!? ここにひとつの話しがある。 土佐の中村に、お徳という美少女がいて「中村小町」と呼ばれて…
天狗といっても↓の中岡慎太郎のことではない。 ときは竜馬が日根野道場でメキメキと実力を出してきたころ。 高知の潮江にひとりの怪しい坊主が来て、自分で「オレは天狗の使者だ」と言い出した。悪いことに近所の農夫らをだまして金品、食料を貢がせる。そこ…
『フルベッキ博士の集合写真』の続き(しつこくて申し訳ありませんm(_ _)m)の昨年1月の京都新聞からの抜粋。『高知県立坂本龍馬記念館(高知市)は「写真は研究で否定された偽物」と注意を呼び掛けている。 問題の写真は、着物に帯刀、まげを結った若者ら4…
右の写真はフルベッキ博士と幕末のスターたちの写真といわれている!? フルベッキ博士というのは、オランダ人宣教師で幕末に来日し、教育に尽力した人だ。 で、この写真の触れ込みは『大隈重信・副島種臣ら門下生と共に、日本の統一をどうしたら良いか、王政…
竜馬と元首相の吉田茂に関連がある! それはナニかというと、龍馬は天保6年11月15日に高知城下のに生まれた。これは、現在の高知市上町1丁目7−34。土佐電鉄電停升形と上町1丁目の中間地点であり、現在は医療法人産研会上町病院と金子陶器店の間に…
長崎で有名なたぬきを擬人化した絵を描く画家の堤けんじさんが、画集『竜馬紀行』を発売した。 二千部発行で3000円だとか。ちょっと高い気もするけど欲しい気もする。 竜馬がタヌキになるとどんな感じになるのだろうか?(小ネタですみませんm(_ _)m)(長崎新…
泣き虫、おねしょでヘタレぶりを謳歌(!?)していた竜馬だが、14歳で小栗流日根野道場に通うようになって、ピタリと泣き虫・おねしょしなくなった。 土佐藩の多くの下士が通った日根野道場だが、他流試合も奨励した実力派の剣術道場だった。この道場に竜馬は朝…
↓でも乙女姉さんがとてつもなくでかい人でスーパーウーマンということは書いたが、その上にお騒がせで豪胆な人、時には『天才バカボン』のおまわりさんのような人だったようだ。 竜馬も乙女姉さんのことを「坂本家の仁王さま。夜や竹やぶの中でピストルをぶ…
今日の日に暗殺に遭った竜馬の盟友である中岡慎太郎だが、彼の母の場合は、男子の生誕を天狗の森に祈願したことから夢に天狗があらわれ、慎太郎が誕生したという逸話がある。 ちなみに慎太郎の誕生日は、天保9年4月13日(1838.5.6)。命日は慶応3年11月17日(18…
本日、竜馬の誕生日と云ってはみたが↓記録では4つの誕生日がある。10月15日説『汗血千里駒』(坂崎紫瀾:明治16年)『阪本龍馬』(弘松宣枝:明治29年)11月5日説『坂本龍馬直柔本伝』(高松太郎・石田英吉:明治10年代)11月10日説『維新土佐勤王史』(瑞…
竜馬が京都・伏見の近江屋で暗殺に遭った日は奇しくも誕生日と同じ11月15日なのだが、命日については15日と16日のどちらか判然としていない。 竜馬の墓碑には「慶応三丁卯十一月十六日闘死」と刻まれ、明治政府に墓碑の管理費を請求した京都市の控えには「慶…
天保六年(1835年)11月15日坂本竜馬直柔(なおなり)誕生♪ ということで、本日竜馬の誕生日なりぃ〜(*゜▽゜ノノ゛☆パチパチ♪ 逸話としては母・幸が出産前夜に?雲龍奔馬の胎内に入るを夢み…(要するにお母さんが空から龍が降りてきてお腹に中に入ったということ)?…