2004-10-01から1ヶ月間の記事一覧

【エピソード】三人三様、柿を喰うと…

食欲の秋といえば、柿のおいしい季節になった。竜馬の柿の食べ方は!? 竜馬と中岡慎太郎、吉村寅太郎が武市半平太のところに訪ねてきた。そこで妻である富子は柿を振る舞った。 吉村は躊躇せずに「私の家にも柿の木はありますが、とてもこの味には及びもしま…

【今日の竜馬は?】福井藩士の訪問を受ける

●竜馬33歳・慶応三年(1867年10月30日)●・『三岡八郎・松源太郎らが竜馬の宿を訪ねてきて面談』 竜馬は、土佐藩士後藤象二郎の依頼で、福井へ。三岡は福井藩士。松も福井藩士のようだ。すでにこの時期、竜馬は有名志士のひとりであった。 この後、三岡には再…

【エピソード】竜馬の銅像は一人の早稲田大生の発案からできた!?

高知県、桂浜にある現在の銅像はじつは二代目。一代目は、大正15年、早稲田大学の学生だった入交好保という学生が尽力してできたものだった。 大正の時代、竜馬は歴史の中に埋もれた人物だった。竜馬に心酔していた入交は、日本一大きな銅像を作ることを決意…

【今日の竜馬は?】太極丸を受け取る♪

●竜馬32歳・慶応二年(1866年10月28日)●・『プロシアの商人チョルチーより船を受け取る』 この船はのちに「太極丸」と呼ばれる船だ。●竜馬33歳・慶応三年(1867年10月28日)●・『福井へ至り、村田巳三郎と面談する』 竜馬は土佐藩の後藤象二郎から頼まれて福…

【今日の竜馬は?】浪人となって江戸に

●竜馬30歳・元治元年(1864年10月23日ごろ!?)●・『沢村惣之丞と共に呼返を逃れて江戸に』 沢村は竜馬と一緒に土佐を脱藩した仲。このころは神戸海軍操練所が閉鎖になり、途方に暮れていた頃。藩からの呼び戻されることを恐れることと、勝海舟が江戸に戻った…

高杉晋作の小倉城攻めの戦利品とは!?

第二次長州征伐の際に高杉晋作は小倉城から大太鼓を略奪している。その太鼓がさきごろ修復されて復活の太鼓を鳴らしたとか(10月18日付け朝日新聞山口版)。 高杉晋作率いる奇兵隊は、幕府軍相手に連戦連勝!周防沖での海戦では、竜馬も参加して幕府の軍船をけ…

談判の間は一階だった!?

(中国新聞10月5日)によると、いろは丸事件で使われた福山市鞆町の「坂本竜馬ゆかりの家(旧魚屋萬蔵宅)」で、談判に使われた部屋の検証が行われたそうだ。 検証したのは、広島大文学部の三浦正幸教授(文化財学)で、三浦教授によると、「江戸後期から昭和30…

【今日の竜馬は?】福井へ旅立つ!

●竜馬32歳・慶応二年(1866年10月24日)●・『薩摩藩留守居役・汾陽五郎右衛門を訪問』 訪問した理由は、帆船購入費用の捻出か!?●竜馬33歳・慶応三年(1867年10月24日)●・『福井へ旅立つ』 土佐藩士の岡本健三郎に福井出立の時刻を伝えた手紙を送り、待ち合わ…

【今日の竜馬は?】竜馬、福井へ

●竜馬32歳・慶応二年(1866年10月23日)●・『船の検分を行う』 昨日のプロシア商人・チョルチーから薦められた帆船(後の太極丸)の検分を行ったのだろう。●竜馬33歳・慶応三年(1867年10月23日)●・『後藤象二郎から福井へ行ってくれるよう頼まれる』 後藤は土…

【今日の竜馬は?】帆船購入へ。夢は広がる♪

●竜馬32歳・慶応二年(1866年10月22日)●・『帆船購入のためプロシアの商人チョルチーと交渉』 のち太極丸と名づけられる帆船を購入することになる。この船を使って、竜馬は諸国物産の交易や蝦夷地開発を計画していた。●竜馬33歳・慶応三年(1867年10月22日)●…

【今日の竜馬は?】海軍操練所から追い出される!

●竜馬30歳・元治元年(1864年10月21日)●・『勝海舟、幕府より江戸帰還を命じられる。竜馬らの身柄を薩摩藩に依頼』 神戸海軍操練所が幕府より閉鎖され、海舟は江戸へ呼び戻されてしまう。竜馬ら練習生は、海舟の心遣いで薩摩藩が一時預かるように依頼される…

勝海舟の添え書きアリの竜馬の肖像画みつかる!

(朝日新聞)(日経新聞)によると、明治時代に書かれた肖像画と竜馬の手紙が見つかったそうだ。どちらも1929年に刊行された本に写真が掲載されたが、それ以後行方は不明になっていた。 所持していたのは、横浜の高知県出身の歴史研究家(故人)で、その関係者が…

【今日の竜馬は?】近江屋からの引越しを断る!

●竜馬33歳・慶応三年(1867年10月19日)●・『土佐へ戻る望月清平を伏見まで見送る』 土佐藩士・清平と竜馬は旧知の間柄。清平や同士たちは竜馬が宿舎としている近江屋を幕吏が狙っているので薩藩邸へと提言したが、竜馬はこれを断っている。 このときの提言を…

【今日の竜馬は?】海援隊士、薩長同盟に尽力する

●竜馬31歳・慶応元年(1865年10月18日)●・『近藤長次郎、ユニオン号を受け取る』 近藤は海援隊士中でも行動力があるキレものだった。この年、薩長同盟のために竜馬から命を受けて、長州のために船・ユニオン号の購入に尽力した。このとき、長州から巨額な報…

【今日の竜馬は?】近江屋の宿替えを薦められる!

●竜馬33歳・慶応三年(1867年10月17日)●・『吉井幸輔より近江屋からの宿替えをすすめられる』 吉井は、薩摩藩士。竜馬とは寺田屋襲撃事件の際に竜馬を保護した。また、お龍との薩摩への新婚旅行中には自宅を宿代わりに提供したり、なにかと竜馬を気遣ってく…

【今日の竜馬は?】後藤象二郎と美酒に酔う!

●竜馬33歳・慶応三年(1867年10月16日)●・『後藤象二郎を訪ね、松力で酒を酌み交わす』 土佐藩の大監察である後藤は竜馬の大政奉還のアイデアを藩主である山内容堂から幕府へ伝えるように促した功績がある。このため京都の藩邸へ訪ねていったのだろう。この…

【今日の竜馬は?】大政奉還が朝廷に受理される!

●竜馬33歳・慶応三年(1867年10月15日)●・『朝廷、幕府の大政奉還を受理する』 いよいよ、大政奉還が成立した。・『林謙三と面談する』 林は備後藩藩士。維新後、海軍中将になった。この日は、大政奉還後の見通しを語りあったという。 本日は竜馬の大仕事の…

【今日の竜馬は?】二両借りて諸国漫遊!?

●竜馬27歳・文久元年(1861年10月14日)●・『丸亀行のため田中良助から二両借りる』 田中は文武両道の人だったらしく、竜馬も影響を受けたひとりだったらしい。年上ながら囲碁や将棋などもやった仲だった。この二両は、剣術詮議のために借りたものだ。・『讃…

【今日の竜馬は?】大政奉還成る!

●竜馬33歳・慶応三年(1867年10月13日)●・『酢屋から近江屋に宿を変える』 竜馬自身も身を狙われているということを感じていたのだろうか!?・『登城前の後藤象二郎に決死の覚悟を促す手紙を送る』・『後藤象二郎より決死の覚悟をしている旨の返書が届く』 ・…

【今日の竜馬は?】長州藩士へ手紙を送る

●竜馬31歳・慶応元年(1865年10月12日)●・『印藤聿へ手紙を送る』 印藤は長州藩士。竜馬は前日、印藤に下関で面談している。このとき、意見は分かれた。だが、この日の手紙では妥協する内容の手紙だったという。 手紙の内容は、ユニオン号の購入問題だったよ…

【今日の竜馬は?】剣術詮議と称して隠密行動!?

●竜馬27歳・文久元年(1861年10月10日)●・『讃岐丸亀への「剣術詮議」が許可される』 讃岐丸亀は現在の香川県丸亀。このころの竜馬は剣術詮議と称して各地の志士たちと連絡を取り合っていた。剣術詮議とは、簡単にいうと武者修行のようなもの。各地の道場へ…

【今日の竜馬は?】中岡慎太郎とつもる話をした

●竜馬33歳・慶応三年(1867年10月10日)●・『中島作太郎・岡内俊太郎らと共に白川土佐藩邸の中岡慎太郎を訪問』 中島と岡内は海援隊士。岡内は竜馬の秘書の役割をしていた。中岡とは旧知の仲。積もる話しがあったようだ。 中岡とは大政奉還の話か、はたまた同…

【今日の竜馬は?】素早く京都へ戻る

●竜馬33歳・慶応三年(1867年10月9日)●・『大坂から京都へ上り、酢屋へ宿泊』 高知から戻った竜馬は、京都へ。海援隊士の中島作太郎と共に現在もある酢屋に泊まっている。・『権平にあて、大坂到着を伝える手紙を送る』 兄の坂本権平へ手紙を書いている。 土…

【今日の竜馬は?】竜馬、ようやく関西へ戻る

●竜馬33歳・慶応三年(1867年10月8日)●・『空蝉丸で兵庫へ入港』 芸州藩船の震天丸が悪天候で破損、薩摩藩の空蝉丸に竜馬は乗り換えたが、これも悪天候に阻まれ、土佐を出航できずにいた。そしてこの日ようやく出航できて、兵庫まで戻ったのだった。・『大坂…

【今日の竜馬は?】下関の豪商を訪ねる

●竜馬31歳・慶應元年(1865年10月7日)●・『下関の白石正一郎を訪ねる』 このころの竜馬は京都と長州を船で行き来することが多かった。それは、薩長同盟や大政奉還などの問題もあったためだ。白石は下関の豪商で、志士たちを支援していた。 政治的な問題もあ…

【今日の竜馬は?】勝塾、塾頭になる!

●竜馬29歳・文久三年(1863年10月6日ごろ)●・『勝塾の塾頭に任じられる』 勝海舟と竜馬は、幕府の管理下の元で神戸に海軍操練所をつくるための第一段階として、勝塾を開設した。竜馬はその塾頭となったのだ。この後も竜馬は海軍操練所の創設に向けて奔走する…

【今日の竜馬は?】二度の故郷出帆も失敗!?

●竜馬33歳・慶応三年(1867年10月5日)●・『再び浦戸湾を出帆するも暴風雨のため機関を損じ須崎港に引き返す』 竜馬は船で故郷の高知へ戻っていた。10月1日に出航しようとしたが、悪天候で播州藩船の震天丸が破損。この日、空蝉丸(薩摩藩船・胡蝶丸)に乗り換…

【今日の竜馬は?】竜馬、薩摩藩から給金を貰う

●竜馬31歳・慶應元年(1865年10月3日)●・『小田村素太郎と一緒にに三田尻より宮市をへて山口に入る』 竜馬はこの時期、船で関西より長州へ。小田村は長州藩士。三田尻は現在の山口県防府市で、攘夷派の各地の浪士たちは海路を取る場合は自然の良港であった三…

【今日の竜馬は?】27歳、免許皆伝になる!?

●竜馬27歳・文久元年(1861年10月1日ごろ)●・『「小栗流和兵法三箇條」を授かる』 14歳から通った高知の小栗流日根野道場から貰った免許。竜馬は江戸での修行前に「小栗流和兵法事目録」、20歳で土佐に戻ったときに「小栗流和兵法十二箇條並二十五箇條」の免…

【今日の竜馬は?】高知を出るに出られず!?

●竜馬33歳・慶應三年(1867年10月1日)●・『震天丸で浦戸湾を出帆するも悪天候のため須崎港へ戻る』 竜馬は一週間ほど故郷に戻っている。この日、芸州(今の広島)藩の藩船・震天丸で芸州の兵士を乗せて出航するも、海が荒れていたために須崎へ戻っている。 震…