2004-03-01から1ヶ月間の記事一覧

海援隊士の中に佐幕派!?

■竜馬は現実的には江戸幕府を倒す働きをしたし、海援隊も脱藩浪士たちの集まりで、倒幕派ばかりというイメージだが、じつは佐幕派の隊士もいた。 それが小谷耕蔵(生没年不明)だ。 越前出身で。慶応二年(1866年)頃に社中に入り、そのまま海援隊にも籍を置く。…

?黒船?走る!?

■嘉永6年(1853年)ペリー提督の?黒船来航?で日本は揺れた! 竜馬は19歳で最初に江戸修行に出たころ。6月某日に土佐藩品川下屋敷へ臨時御用につき、実際に黒船を見た。このときのインパクトで志士になったともいわれる。で、現代、下田〜熱海間に黒船電車…

【今日の竜馬は?】鹿児島へ新婚旅行中!

■今日、竜馬はお龍との新婚旅行で薩摩の霧島山に登っている。 慶応2年(1866年)竜馬32歳の3月はお龍との新婚旅行に費やしている。3月1日 大坂薩屋敷着 4日 朝、川船で下り薩藩船三邦丸へ西郷隆盛、小松帯刀、中岡慎太郎、三吉慎蔵、池内蔵太らと乗船し西…

【幕末関連】これが『日米和親条約』の原本!?

■この条約から、日本は明治維新に向かって動き始め、竜馬ら志士も活躍することになったといっても過言ではないだろう。 それが「日米和親条約」だ。で、この条約の締結から、今年で150周年になるのにちなんで、アメリカで この条約の原本が 一般公開され…

竜馬に温厚な人柄を愛された海援隊士

■竜馬に可愛がられ、いろは丸事件賠償金7万両を手にしていたが結局、竜馬には渡せなかった海援隊士がいる。 それが、中島作太郎(1846年〜1899年、別名は中島作次・中島信行)だ。中島は、弘化三年(1846年)土佐国高岡郡塚地村猿喰(現在の高知県土佐市塚地)…

長崎時代の竜馬・社中と亀山社中は違う!?

■竜馬の活躍の場所を大きく分けると4つある。高知、江戸、京都、長崎だ(あとは船の上!?)。 長崎時代は元治元年(1864年)から始まる。、長崎に海軍伝習所の頭取として 派遣された竜馬は、勝海舟の紹介で西郷隆盛と知り合い、 薩摩藩の援助を得て、翌年、日本…

【今日の竜馬は?】脱藩2日目、兄届けを出す

●文久2年(28歳)3月25日 高岡郡檮原村那須信吾宅に一泊、宮野々関を越え伊予路より内海を渡る(竜馬の脱藩2日目ということ)。 同日 平井収二郎は妹加尾(在京都)へ脱藩を知らせて「竜馬は人物なれども書物を読めぬへ」間違うやも知れず警戒せよと即報。 福…

【今日の竜馬は?】沢村と一緒に脱藩!

●文久2年(28歳)3月24日 夜、沢村惣之丞(関雄之助)と共に脱藩。武市半平太は黙認している。また、「飛潜誰か識る有らん」と評し、河野万寿弥に西郊朝倉村まで送らせている。(月日がはっきりしている竜馬の行動を今後書いていきます・高杉竜馬)(写真は武…

【今日の竜馬】竜馬には必要だった死の商人!

竜馬が船や武器の購入で必ず頼ったのがこの外国人だった。 それが長崎観光で必ず行くグラバー邸の主人だったトーマス・B(ブレイク)・グラバーだ。天保8年6月6日、スコットランドのフレーザーバラで海軍大尉の五男として生まれている。 安政5年、上海に渡…

【今日の竜馬】血の気の多い海援隊士は!?

■天満屋事件にも関わり、間違って薩摩藩士を射殺した血の気が多くて少しあわてんぼの海援隊士がいる。 それは沢村惣之丞(さわむら・そうのじょう1844年〜1868年、変名は、関雄之助・前河内愛之助・大原刑部・沢田尉右衛など)だ。ちょっとカブキ役者のような…

【今日の竜馬】竜馬の生まれた街に行く!?

■高知市にまた竜馬に関する施設ができた。 高知市は、竜馬の生誕地、同市上町に『竜馬の生まれたまち記念館』をオープンした。 高知市にはすでに『県立坂本竜馬記念館』があり、竜馬直筆の手紙などが展示されている。また野市町には『龍馬歴史館』があり、蝋…

【今日の竜馬】海の藻屑に消えた海援隊士

■海運を業務にしていた海援隊だけに、海難事故はつきものであった。そのために船と運命を共にした海援隊士もいる。 そのひとりが池 内蔵太(1841年〜1866年、別名は池駒次郎・池敞など。変名は、細川左馬之助・細川鹿之助・細井徳太郎など)だ。 天保12年、藩…

【今日の竜馬】竜馬の無声映画を上映!

■竜馬の無声映画が滋賀の大津で上映されるそうだ。 ?活弁?や紙芝居で懐かしの時代を再現しようと「無声映画VS街頭紙芝居」と銘打った催しが、21日午後1時半から大津市京町4丁目の滋賀会館シネマホールで開かれる。 滋賀県内の劇団員でつくる紙芝居上演グル…

【今日の竜馬】竜馬の声で着信する!?

■携帯電話の着信ボイスのサービスの中に、竜馬の声があるそうだ。お試しあれ。 着信ボイスを作っているのは、声紋研究の第一人者である鈴木松美氏の「日本着信メロディ研究所」で、メロディサイト「えらべるJ-POP」でダウンロードできる。 その竜馬の声は、…

【今日の竜馬】竜馬の家督を継いだ男

■竜馬には子供がいなかったので、暗殺後の竜馬家は没するしかない。その家督を継いだ男がいる。 それが、高松太郎(1842年〜1898年、別名は高松栄太郎、高松称太郎、小野淳輔、坂本直。変名は多賀松太郎)だ。土佐藩郷士高松順蔵の長男として生まれている。母…

【新聞ネタ・番外】新撰組トレイン走る!?

■なんでも?新選組トレイン?が京阪電車の出町柳−淀屋橋間で運行しているそうな。 京阪電気鉄道は15日、新選組をモチーフにしたラッピング電車「新選組トレイン」の運転を出町柳−淀屋橋間で始めた。 8両1編成で、12月まで主に特急として運転する。車体は青地で…

【今日の竜馬】いろは丸事件の始末(後編)

■いろは丸事件の顛末の後編。竜馬はこの事件の後始末をどうつけたのか?ワク*1ワク 竜馬は、次のことを紀州藩の船長らに要求した。・「土佐の連中を放ったまま出港したのは言語道断!」なので謝れ!・1度ならずも2度も船を衝突させた責任はどうなるのか!?(…

【今日の竜馬】いろは丸事件の始末(前編↑後編あり)

■竜馬を語る上で大事件のひとつがこの『いろは丸事件』だ。日本の海難事件解決の見本ともいえる事件。 竜馬は慶応3年4月初旬に海援隊を組織し、伊予大洲藩から「いろは丸」を借用し、海運業にのりだした。その矢先の4月19日、長崎港を出航し、大阪に向…

【今日の竜馬】大政奉還を2ケ月遅らせた大事件!?

■竜馬もさまざまな事件に巻き込まれているが、この事件は竜馬も海援隊も幕府も土佐藩もイギリスも無駄な時間を過ごした事件だった。 それは『イカルス号事件』(または『イギリス人水兵殺害事件』)だ。事件は、慶応三年(1867年)7月6日の夜更けに発生した…

【今日の竜馬】竜馬と共に日本の将来考えた男

■先の時代をみていたのは竜馬だけではない。日本の近代化を夢見た男がいる。 それは平野富二(1846年〜1892年、別名は矢次富次郎)。長崎出身で矢次豊三郎の二子として生まれている。3歳で父を亡くし、苦学ののち学者本木昌造に見い出され、汽船航海法などを…

【新聞ネタ】桜田門外の変のとき竜馬は!?

(京都新聞)水戸浪士の襲撃で命を落とした彦根藩主で幕末の大老井伊直弼の最後のシーンを描いた「桜田事変絵巻」が、滋賀県彦根市金亀町の彦根城博物館で公開されている。 直弼は1860(安政7)年3月3日、雛祭りの祝いに向かった江戸城の桜田門外で、水…

【今日の竜馬】薩摩の根アカな人斬り人!?

■それは?人斬り半次郎?と恐れられた示現流の達人だった男だった。 その名は中村半次郎(1838年〜1877年、別名は桐野信作、桐野利秋)だ。天保九年、微禄藩士の子として生まれている。家は兄弟が多く、藩校に通うこともできずに田畑を耕して生活の糧を得ていた…

【今日の竜馬】お互いを認め合った仲!?

■それは長州藩の高杉晋作だ。親密な交際というほどは会っていないのだが、わずかな出会いでお互いを認めていたようだ。 高杉晋作は(1839年〜1867年、別名は高杉和助・高杉東一、変名は谷梅之助・宍戸刑馬・谷潜蔵・他など)、天保10年8月20日、長門国阿武郡…

【今日の竜馬】夢半ばで逝った海援隊士

■海援隊の中でももっともキレもので学問に長じていたのはこの男だ! その男は近藤長次郎(1838年〜1866年 別名は、大里屋長次郎・近藤昶次郎、変名は上杉宗次郎)だ。天保9年3月7日、城下水道町菓子商大黒屋伝次の子として生まれている。安政元年、藩絵師河…

【今日の竜馬】竜馬の力の源は身分制度にあった!?

■土佐藩は上士、下士と厳しい身分制度があった。上士による下士切捨て事件が頻発したようだ。 その事件のひとつが文久元年(1861年)に、上士・山田広衛が、高知城下の暗闇の夜、下士の中平忠次郎と体が触れて中平が切られたことから始まった事件。忠次郎の兄…

【今日の竜馬】熱血漢で頭のキレル海援隊士!?

■海援隊の中で、血の気が多くて、議論好き、頭がキレて竜馬が信頼していたというとこの男しかいない! その男は、陸奥陽之助(1844年〜1897年、別名は伊達牛麿・伊達小次郎・陸奥源二郎・陸奥宗光・他)だ。陸奥は弘化元年7月7日、紀州藩で寺社奉行・勘定奉…

【今日の竜馬】竜馬ブームの火付け役!?

■明治から現代まで、その時代、時代に?竜馬ブーム?がやってきている。 坂崎紫瀾の新聞連載から時が経って、次に竜馬ブームが起こるのは、日露戦争の時だ。日本海でロシアのバルチック艦隊と戦う前に、竜馬が皇后陛下の夢枕に立ち、「日本海軍は絶対勝てます…

【今日の竜馬】竜馬が全国的に有名になったのは!?

■竜馬の活躍が全国的に知られるようになったのは、いつのことだろうか? その最初は、1883(明治16)年。高知出身の坂崎紫瀾が書いた『汗血千里の駒』が、高知の『土陽新聞』に掲載され、評判となる。これは、自由民権運動に参加していた坂崎が、薩長に牛…

【今日の竜馬】慎太郎を看取った男

■竜馬と中岡慎太郎が刺客に襲われた夜、近江屋に駆けつけて、息のある慎太郎からの証言を得たのがこの男だ。 それは土佐藩の田中顕助(1843年〜1939年、別名は浜田辰弥・田中光顕)だ。土佐藩家老深尾家の家臣浜田充実の子として生まれている。那須信吾の甥に…

【今日の竜馬】江戸の第一の親友

■竜馬の江戸行きは、剣術修行だったのだが、そこで生涯の友人を得ることになる。その友人とは? それは北辰一刀流・玄武館の千葉重太郎(1824年?〜1885年)だ。千葉周作の実弟・千葉定吉の長男として生まれている(生年は定かでない)。小さいころから、北辰一…