2004-12-01から1ヶ月間の記事一覧

【今月の竜馬は!?】12月末から1月頭までの竜馬の動き

●竜馬32歳・慶應二年(1866年12月25日)●・『国島六左衛門がいろは丸購入の責任をとって自刃し、その遺体と対面する』 国島は伊予大洲藩士で、いろは丸を竜馬や薩摩藩士の五代才助の周旋で購入したが、藩に承諾を得ずに購入したために責任を取り自刃した。こ…

郵政問題と竜馬の関係は!?

郵政の父といわれる前島密と竜馬は同じ時代に生き、その生き方は似ていた…… ……という内容の本がある。『〈郵政の父〉前島密と坂本竜馬</b>』(加来耕三/著・二見書房1,785円)だ。前島は、ペリーの黒船を見に行き日本の海防の必要性を痛切に感じたという。蘭学(医…

一度歩いてみたい竜馬脱藩の道

文久2年(1862年)3月24日、竜馬は志に燃えて脱藩することになる。その脱藩ルートは過去紹介したことがあるが、一度は歩いてみたい。 その脱藩の道を紹介した写真集がある。『写真集 龍馬脱藩物語』(前田秀徳著・新人物往来社2940円)だ。 中身は、竜馬の脱藩…

【今日の竜馬は?】下関の豪商へ船便の周旋を依頼する

●竜馬32歳・慶應二年(1866年12月20日)●・『伊藤九三へ船便の用意を依頼した手紙を送る』 これは竜馬が土佐藩士の溝淵広之丞の長崎行にさいして、下関の豪商である伊藤へ船便の周旋を依頼した。溝淵は、竜馬と同じ江戸の千葉定吉道場で剣術修行をした仲であ…

【今日の竜馬は?】桂小五郎に上京を促す

●竜馬31歳・慶應元年(1865年12月19日ごろ!?)●・『桂小五郎へ上京を促す』 竜馬は下関に滞在している。この日あたりに薩摩藩士の黒田了介と共に桂に面談し、上京をうながしている。薩長同盟のための布石か!? 竜馬や中岡慎太郎は薩長同盟のためにこの時期奔走…

竜馬の蝦夷地開拓計画、その後がわかる本

竜馬が維新後に考えていた計画は蝦夷地の開拓というのは有名な話し。だが、竜馬はその夢をかなえることもなく、また蝦夷地へ足を踏み入れることもなかった。その意志は何度か実行に移されようとするたびに頓挫したのだ。そして、坂本一族がその夢の一端を引…

【今日の竜馬は?】幕船に乗って品川を出航

●竜馬28歳・文久二年(1862年12月17日)●・『幕府軍艦順動丸で品川を出航する』 老中並小笠原図書頭長行を乗せて勝海舟の指揮によって出航したもの。竜馬や千葉重太郎、近藤長次郎らが同行した。目的地は神戸。 この年、竜馬は長州への訪問などしながら、幕臣…

竜馬が借金をした故郷の人

それが田中良助。 高知の柴巻に坂本家の領地があり、その地組頭であった田中家の邸宅に、竜馬はよく遊びに行き、良助と将棋や碁をしていた。また、近くにある八畳岩の上から高知のお城下を見下ろし、太平洋を眺めながら、将来について語り合ったといわれてい…

【今日の竜馬は?】桂小五郎に面会を求める

●竜馬32歳・慶應二年(1866年12月15日)●・『下関より桂小五郎に面会を求める』 竜馬は前日に土佐藩探索方溝淵広之丞を伴って下関の豪商である伊藤九三宅を宿としていた。この日、長州藩士の桂へ会いたい旨を伝えたようだ。 竜馬は長州藩と土佐藩の交流を求め…

【今日の竜馬は?】薩摩藩士へ手紙を送る

●竜馬31歳・慶應元年(1865年12月14日)●・『岩下佐次右衛門・吉井幸輔らにあて手紙を送る』 岩下と吉井は薩摩藩士。内容は、薩摩藩士の黒田了介と一緒に上京することと、長州訊問使で幕臣である永井尚志の動向を伝えたもの。永井は第一次長州征伐の際の大目…

【今日の竜馬は?】下関へ向かう

●竜馬31歳・慶應元年(1865年12月13日)●・『上杉宗次郎に事務処理を託して下関へ』 上杉というのは亀山社中隊士の近藤長次郎のこと。改名したもの。前日に桜島丸を長崎に到着している。桜島丸は長州藩の藩船で、海援隊が借り受けていた船、この船の使用権に…

【今日の竜馬は?】陸路京都へ

●竜馬28歳・文久二年(1862年12月12日)●・『千葉重太郎らと共に陸路を京都へ』 重太郎は、千葉定吉の長男で、江戸桶屋町の千葉道場の跡取り息子ということ。竜馬にとっては兄弟子ということになる。竜馬と共に勝海舟に会いに行ったということもあり、海舟が…

竜馬の目線で太平洋を眺めてみる!

竜馬の銅像といえば、京都霊護国山神社か桂浜の竜馬が有名。で、個人的には、桂浜のひとりで立つ銅像が竜馬らしいと思う。行って見た方はわかるが、台座などがあり、竜馬は高い位置にある。竜馬は太平洋を眺めているのだが、視線の先にはナニが見えるのだろ…

竜馬はコーヒーを飲んだか!?

長崎に『龍馬が愛した珈琲』というドリップバッグのレギュラーコーヒーがある。竜馬はコーヒーを飲んだのだろうか!? コーヒーが日本に伝わったのは、1865年(慶応元年)長崎の出島だといわれている(一説ではそれよりも260年も前から飲んでいたとも)。貿易商で…

【今日の竜馬は?】友達ふたりを勝海舟の門人にする

●竜馬28歳・文久二年(1862年12月9日)●・『門田為之助・近藤長次郎らと勝海舟を訪ねる』 門田は土佐藩士で、のちに土佐勤王党の一員に名を連ねることになる。近藤は亀山社中など今後竜馬と共に過ごすことになる。この日、ふたりは竜馬と共に海舟を訪ね、門人…

【今日の竜馬は?】長崎へ戻る

●竜馬32歳・慶應二年(1866年12月8日ごろ!?)●・『長崎へ戻る』 竜馬は11月下旬あたりから、長州にいて、 薩長合弁商社設立を画策していて、契約書つくりなどに奔走していた。それもひと段落して、この日長崎へ戻ったようだ。 この日の少し前5日一橋慶喜は十…

【今日の竜馬は?】空白の数ヶ月、竜馬はナニをしていたか!?

●竜馬30歳・元治元年(1863年12月初旬)●・『大坂・伏見・京の薩摩藩邸に潜伏』 この年、神戸海軍操練所が閉鎖され、勝海舟も江戸に呼び戻された。池田屋事件や禁門の変などが勃発し、竜馬の身辺も不穏な空気が流れる。このため、海舟は薩摩藩に竜馬の身辺警…

【今日の竜馬は?】海舟、竜馬のため藩に要請する

●竜馬29歳・文久三年(1863年12月6日)●・『勝海舟、竜馬らの国元召喚を延期してくれるよう要請書を出す』 江戸の土佐藩邸より帰国命令が出たため、海舟は、江戸詰め土佐藩徒目付に修行期間の延長を要請している。だが、これは拒否された。 竜馬は結局、国許…

【今日の竜馬は?】福井藩主に拝謁する

●竜馬28歳・文久二年(1862年12月5日)●・『松平春嶽に拝謁する』 春嶽は福井藩主。尊皇派の志士たちを後援していた先進的な藩主だった。竜馬は、土佐藩士の間崎哲馬やその後、亀山社中などに参加する近藤長次郎と一緒に謁見している。 このとき、竜馬は海軍…

【今日の竜馬は?】父・八平死す

●竜馬21歳・安政二年(1855年12月4日)●・『父・八平が死去』 享年59歳。この年の始めに兄の権平が家督は継いでいた。竜馬はちょうど第一回目の江戸・剣術修行から帰国していた。●竜馬32歳・慶應二年(1866年12月4日)●・『家伝類の贈与を希望した手紙を兄・権…

【今日の竜馬は?】『約束書』を交わす

●竜馬31歳・慶應元年(1865年12月3日)●・『下関へ至り、「約束書」を結ぶ』 大坂より船旅(桜島丸!?)。桜島丸使用権紛議のために長州藩海軍局総官・中島四郎と会見している。このとき「約束書(桜島丸改定条約)」を結んでいる・『印藤聿に手紙を書く』 長府藩…

【今日の竜馬は?】藩より帰国命令が出る!

●竜馬29歳・文久三年(1863年12月初旬)●・『江戸の土佐藩邸より帰国命令が出る』 この年、竜馬は前年の脱藩の罪赦免を願って謹慎までして4月には赦免になっているのだが、この帰国命令に従わずに結局は脱藩状態になってしまう。 すでにこの時期、土佐藩にお…

【今日の竜馬は?】佐久間象山塾へ入門!

●竜馬19歳・嘉永六年(1853年12月1日)●・『佐久間象山塾に入門した』 佐久間は儒学や朱子学を修め、西洋科学の導入で殖産興国を薦めた学者。塾生には、勝海舟や吉田松陰らがいた。塾は江戸の神田お玉が池にあった。のちに京都で尊攘派によって暗殺され…