「竜馬語録」(8)

今回の竜馬語録は、
 
「姦吏(かんり)を一事に軍(いくさ)いたし打殺(うちころし)、日本を今一度せんたくいたし申候事ニいたすべくとの神願ニて候」
 
 です。乙女姉さん宛で文久三年(1863年)6月29日の日付で書き残されています。
 あまりに有名な言葉で、おそらく竜馬ファンなら誰もが知っている言葉だと思います。
 私訳すると「日本中の役人を武力で撲滅して、ニッポンを今いちど洗濯したいと神にちかいました」でしょうか。
 ただ、冒頭の「姦吏を一事に軍いたし……」の言葉は省略されている場合が多いのではないでしょうか。官吏(役人)を姦吏としているのは、よほど腹に据えかねているのが分かるのではないかと思います。もしくは志士たちの間ではこう書き記すのが通常だったのかもしれません(笑。
 また、神願する(神に誓う)という言葉も、その決意は固いことを強調しています。
 竜馬はこうして、信頼している乙女姉さんに、そのココロの内を明かすことで、自分の今後の行動を抜き差しならない状態にしているのでしょう。それだけ決意が固いことが分かります。
 
【現代の日本でもこの言葉を発したくなる状況はママあります(笑。許認可を得る場合やそのほかの手続きを自分でした方はお分かりでしょうが、書類集めや作成に膨大な時間を費やし「二度としたくない」と思う方は多いでしょう。遅々として進まない作業にイライラすることも。年金問題も結局は、事なかれ主義の姦吏たちの怠慢が生んだもの。怠慢で高給取りの公僕は腹立たしい限り。まさに打殺して洗濯したくなります(笑。今回の大震災の復興だけは、滞り無く迅速に対応する官吏の活躍を期待したいものです。】

「竜馬語録」(7)

 今回の竜馬語録は、
「実に天下に人ぶつのなき事これを以てしるべく、なげくべし」
 この言葉は、文久三年(1863年)6月29日付けの乙女姉さん宛の書簡にある。私訳では、「じつに世の中には人物がいないことを知って、嘆いてしまう」でしょうか。竜馬が当時、志士として目覚め、さまざまな人物に会っているにもかかわらず、竜馬の目にかなう人物がいなかったのだろう。この場合の人物は、その人の個性のことではなく、人々を統率できる指導者を指していたのではないだろうか。ただ、師匠の勝海舟や薩摩の西郷隆盛、長州の桂小五郎などは一目置いていたことは、その後の竜馬の行動でも確かのよう。
 
【世の中が平穏無事な時には、竜馬の考える人物はいなくても過ぎていくだろうが、例えば今回のような大震災の際には、竜馬のいう人物がいないことを痛感する。政府は元より政治家や経済界などにも人物はいないように思う。彗星のごとくヒーローは現れないものだろうか!?……】

「竜馬語録」(6)

 今回の竜馬語録は、
「世に生を得るは、事を成すにあり」
 これも出典などは不明ですが、国事に奔走した竜馬なら云ったとしてもおかしくない言葉です(笑。
 不遜ながら個人的な解釈では、この世に生まれた限りは、なにか仕事を成し遂げる努力をすべし、でしょうか。
 現代では、仕事というと会社や個人の営利目的の仕事となるのでしょうが、竜馬の時代なら、当然、国事に関することだったでしょう。幕末当時の政治になんらかの興味がある若者は、みな同じような感覚を持っていたと推測します。ただ、当時の国としての感覚は、日本全体ではなく、目的は藩のためだったり、幕府のためという範囲に限られていたようです。竜馬はそのカラを破って日本全体を考えていた数少ない志士のひとりだったわけです。
 そして、その強い意志の現れが、今回の言葉といえそうです。
 
【個人的には耳の痛い言葉のひとつです。自分はなにか「事」を成しているか。その「事」とはなにか? その目標は世の中のためになっているのか。そして事を成すために努力をしているのか。……まさに自己嫌悪に陥りそうですが、今は自分の信じる目標に向かって歩き出すしかないと思っています。強い意志をもって……】

「竜馬語録」(5)

 今回の竜馬語録は、
「ことは、十中八九まで、自らこれを行い、残り一二を他に譲りて功をなさむべし」
 竜馬はもっとも大きな仕事としては薩長同盟があるが、その立役者として有名になったのは明治16年以降から。「土陽新聞(どようしんぶん)」で連載された「汗血千里駒(かんけつせんりのこま)」で竜馬が紹介されてから、名前が世の中に広まったといわれている。つまり、竜馬や盟友の中岡慎太郎もそれまでは維新に埋もれていた志士に過ぎなかった。それだけにこの言葉は説得力がある(もっともこの言葉も出典などは不明)。

 
【しかし、これはなかなか出来ない(⌒〜⌒)/ サラリーマンの方なら、部下がほとんどの作業や段取りをして、最後にオイシイところを部長などに持って行かれるなどというのは日常茶飯事だろう(笑。また、上下関係の厳しいクリエイティブな職業の方なども同じだろう。個人的に目撃した例では「先生」と呼ばれる写真家の方々などは、スタジオ撮影では構図から、ライティング、カメラの絞りやピント合わせ、モデルが居る場合はポーズまでアシスタントが行い。自分はシャッターを切るだけであった(笑。日本の現在の政治家などは、こんな言葉どおりの方は皆無であろう。役人の手柄は自分の手柄にし、失敗は役人のせいにするなどは日常茶飯事ではないか。……嘆かわしいことである……。】

「竜馬語録」(4)

 今回の竜馬語録は、
「義理などは夢にも思ふことなかれ。身をしばられるるものなり。」
 出典などはまったく分からないのだが、いかにも竜馬らしい言葉だと思う。おそらく海援隊士らや自分よりは目下の若者たちへ伝えた言葉なのではないかと思われる。自分が目を掛けたり援助した若者に、その義理などに縛られることなく、自由にさらに飛躍して欲しいということではないだろうか。
 もっとも竜馬自身は、京都や下関、長崎などでお世話になった志士や商人はかなり多いので、自分への言い訳だったかも(笑。師匠の勝海舟はもとより、越前藩主の松平春嶽、下関の豪商・伊藤助太夫、長崎の豪商・小曽根英四郎など枚挙するにはいとまがない。どこか男が惚れる魅力が竜馬にはあったのだろう。
 
【今回の震災でも当の被災者の方々も、援助を受け続けることでどこか「義理」を感じている方も多いのではないだろうか。まさにこの竜馬の言葉どおりで、そんなことに縛られるよりは、自分たちの希望を持ち続けて一日も早く復興できればいいと思う。それが結局はみんなのためになると思うし、もし将来立場が変われば、きっと同じことを当然のようにすると思う。】

「竜馬語録」(3)

 今回の震災による原発事故は、放射能の怖さを最も知っている日本人であるはずなのだが、化石エネルギー資源の少ない日本は経済優先の中で、原発を推進させてしまったツケを大自然から受けてしまったように感じる。はっきりしているのは原発安全神話は崩壊したと思わざる得ないだろう。人間の想定できる範疇は都合のよい妄想であったのかもしれない。今すべきは被災した方々のケアと被災地の復興であることは云うまでもないが、将来の原発のあり方を日本人や世界の人々が考える時が来たように思う。個人的には、原発に頼らない自然エネルギーを活用する技術をより推進して、国民すべてがそのために我慢し乗り越えてゆくことが必要だと思う。その決断は今しかないと思うのだが……。

 今回の「竜馬語録」は、
「願わくは、公明正大の道理に基づいて、一大英断をもって、天下を更始一新せん。」
 もちろんこの場合の「天下を更始一新」というのは「維新」のことだと思われ、「公明正大の道理」は武士だけでなく万人が望むことを指しているといえるだろう。つまりは民主的な国家を築こうとする竜馬の思想がみえる。結局は、当時の指導者たちでは、一歩先を行く竜馬の理想がすぐに実現することはなかったのだが……。

【それにしても、この竜馬の言葉は、まさに「原発」についても云えることではないだろうか。原発開発に注ぎ込んだこれまでの税金や各電力企業の費用は、国家予算並み(以上!?)だろうし、原発の開発や運営に従事している多くの人たちは、そう簡単に方向転換することは難しいだろう。だが、遠い将来を見据えると、ここに「公明正大な道理」があるように思う。今が推進派も反対派も真剣に将来を考えてみる格好の機会だと思う。(竜馬と関係ない文章になって申し訳ない<(_ _)>)】

「竜馬語録」(2)

 買い占めなどで震災の被害の少ない地域でも実質、震災の被害が及ぶことになってしまった。自己防衛の履き違いもはなはだしいとは思う。気持ちは分からなくもないが、その分、ほんとうに必要な地域への物資が届かなくなるという影響もあるのでは!? 「今いつもは買いだめしないその品物、ほんとうに必要ですか?」 我が家では日用品については最低限だけにとどめている。老いた両親にその負担を掛けてしまうのは心苦しいのだが……。

 今日の語録は
「ひとの世に道はひとつということはない。道は百も千も万もある」
 王道などという言葉があるが、これは正攻法で、たとえば野球を職業にするとき、ジュニアリーグでワールドリーグ出場、さらに高校野球で甲子園、ドラフトで巨人、そして大リーグでニューヨークヤンキースという道をたどればまさにその道では王道なのだろう(個人的には疑問もあるが・笑)。竜馬が云ったといわれるこの言葉は、幕府の政権移行、新政府樹立などを見据えその方法はいくつもあるということや、海援隊士らへアドバイスの意味では、目的に向かっては自分のやり方で達成できればよいということだろう。ひとつのやり方に固執するのではなく、自分が試行錯誤してその道を見つけていく人の生き方をも含んでいると思う。困難な目的に向かって、様々に考え実行していく実践主義的な竜馬らしい言葉だ。

【自分の人生の目標(目的)はあるのに、その道に失敗することはママあるもの。そこで諦めるか、それでもチャレンジを続けるか、が人生の分かれ道。チャレンジを続けるなら、その方法はひとつではないと考えて別の道を見つけ出した方がほんとうの人生の勝ち組なのかもしれない。経験上、紆余曲折して目標を達成した人ほど強い人だと思うし、本人も達成感が強く、また次の目標を立てる気力も多いような気がする。】