2004-06-01から1ヶ月間の記事一覧

海援隊一剣の腕の立つ隊士

海援隊士(亀山社中の時代に亡くなっているが)の中でもっとも剣の腕が立つといわれる男がいる。 それは黒木小太郎(生年不詳〜1866年)だ。黒木は、鳥取藩出身で、剣術を同藩の指南役だった北辰一刀流・千葉重太郎に学んでいる。竜馬との最初の関係は『海舟日…

【今日の竜馬は?】竜馬、お殿様にお礼する

●竜馬29歳・文久三年(1863年)6月29日●・『京都福井藩邸をたずね騎兵銃一挺を贈り村田巳三郎と面談』 福井藩を訪ねるのは、福井藩主松平春獄に神戸海軍操練所設立資金援助を求めたため。竜馬は5000両の資金を調達した。このお礼のために騎兵銃を贈ったもの…

【今日の竜馬は?】竜馬、ねぶと論を展開する

●竜馬29歳・文久三年(1863年)6月28日●・『「ねぶと論」にふれた手紙を乙女にあて書く』 ねぶと論というのは、竜馬が時世を憂いて考えた理論。乙女姉さんには「天下に事をなすものは、ねぶともよくよく腫(は)れずては、針は膿(うみ)をつけもふさず」と…

スパイ!?豪胆な海援隊士

それが橋本久太夫(生没年不詳)だ。 越後の出身とも讃岐塩飽諸島の出身とも伝わる海援隊士だ。渡辺剛八と同様に亀山社中が設立されると、比較的早くから参加していたらしい。この氏名が記録上、確認出来るのは「慶応二年七月二十八日付け坂本龍馬の三吉慎蔵…

【今日の竜馬は?】竜馬、襲撃計画を断る!

●竜馬29歳・文久三年(1863年)6月26日●・『長州藩士たちから小笠原長行襲撃計画に誘われるも、これに応じず塾生らを説得』 小笠原は江戸幕府老中で、第二次長州征伐では全権を委ねられて西下し、豊前小倉城に入る。しかし小倉口の幕府勢は長州勢の攻撃を受…

【今日の竜馬は?】竜馬、殿様から礼を受ける!

●竜馬29歳・文久三年(1863年)6月25日●・『林豹吉郎、乾十郎の件で竜馬に礼を伝える』 6月の初旬、竜馬は神戸海軍塾生の乾十郎が水戸浪士甲宗助に殺害されようとしたのを救った。ところが甲宗助らは、竜馬に逆に決闘を申し込む。勝海舟や小笠原壱岐守の調…

【今日の竜馬は?】竜馬、西郷隆盛に談判する!

●竜馬31歳・慶応元年(1865年)6月24日●・『京都薩摩藩邸で西郷隆盛と面談』 薩長同盟のために奔走している竜馬。長州で締結する予定を隆盛が無視して京都へ向かったために、竜馬はこれを追いかけて談判している。●竜馬33歳・慶応三年(1867年)6月24日●・…

【今日の竜馬は?】大政奉還が動きだす!

●竜馬20歳・安政元年(1854年)6月23日●・『土佐へ帰国』 初めての江戸での剣術修行。帰省の日であった。●竜馬30歳・元治元年(1864年)6月23日●・『江戸において鳥取藩士安達清風をたずね面談』 この月の竜馬は海軍操練所の創設で奔走しているところ。こ…

【今日の竜馬は?】竜馬、薩土盟約に同席する

●竜馬33歳・慶応三年(1867年)6月22日●・『薩土盟約が成立し、竜馬・中岡慎太郎も浪士代表として同席』 三本木料亭吉田屋にて薩摩藩側は小松帯刀、西郷隆盛、大久保利通。土佐藩側後藤象二郎、福岡孝茂(宮内)、寺村佐膳らが出席。これは竜馬の「船中八策」…

竜馬、写真付き名刺を使う!?

竜馬の写真というと、右手を懐に、革靴を履いて立つ写真が有名だが、このガラス湿板が、原板として焼き増し可能な「種板方式」で撮られていたことが分かった。 当時、写真を名刺代わりに渡すこともあったといい、研究者は「新しいものが好きで交際範囲が広か…

【今日の竜馬は?】竜馬、晋作と話す。

●竜馬32歳・慶応二年(1866年)6月20日●・『白石正一郎方をたずね高杉晋作と面談』 竜馬は、数日前に幕府と海戦をしたばかり、今日のこの日、晋作と今後の話しをしたのだろうか。白石は下関で回船問屋を営んでいた商人。晋作とは懇意にしており、晋作が作っ…

スパイだった海援隊士!?

幕府側の間者だったといわれる海援隊士がいる。 それが、竹中与三郎(生没年不詳)だ。 竹中は、神戸に隣接する小村二茶屋村の出身で、「鳴尾屋」を屋号に薬種業(茶商とも)を営んでいた。神戸海軍勝海舟塾時代から竜馬との交流が生まれ、その閉鎖後も交友を…

イギリス行きを切望した海援隊士

海援隊士は海を舞台に活躍したいと思う男たちが集まっただけに、海外へ出たいと考えていた男も多かったに違いない。そのひとりが関 義臣(山本龍二1839年〜1918年)だった。 関は、福井藩の支藩・府中藩士山本五郎平の二男として生まれた。嘉永四年か…

【今日の竜馬は?】竜馬、幕府と海戦する!

●竜馬30歳・元治元年(1864年)6月17日●・『黒龍丸で下田へ入港』・『勝海舟へ浪士による蝦夷地開拓計画を告げる』 江戸に帰る途中、黒龍丸は幕府の船。蝦夷地(北海道)の開拓は竜馬の夢だった。だが、池田屋騒動が起き北添佶磨・望月亀弥太ら有力同志を失っ…

【今日の竜馬は?】竜馬、気配りをする!

●竜馬29歳・文久三年(1863年)6月16日●・『池内蔵太の母親にあて内蔵太の脱藩に理解を求める手紙を書く』 池内と竜馬は、生家が近く幼馴染みということもあり気に掛けていた。亀山社中隊士でもあったが、その後、社中所有の洋型帆船ワイルウェフ号の難破で…

【今日の竜馬は?】竜馬、有名人気分を味わう!?

●竜馬31歳・慶応元年(1865年)6月15日●・『藤井宿で備前藩士津田彦右衛門・小松源治の訪問をうける』 藤井宿は現在の岡山。そこで、備前藩士の訪問を受けた。竜馬は薩長同盟のために京都に西郷隆盛を追いかけている途中だ。このとき、すでに竜馬は有名人で…

【今日の竜馬は?】海戦前のドキドキ竜馬であった…

●竜馬29歳・文久三年(1863年)6月14日●・『千葉佐那を紹介する手紙を乙女にあて書く』 竜馬は佐那と口約束ながら、婚約をしていたのではないかと思われる。佐那の墓には「坂本龍馬室」の文字が。罪なヒトだねぇ〜●竜馬31歳・慶応元年(1865年)6月14日●・…

【今日あたりの竜馬は?】竜馬、決闘を回避する!

●竜馬29歳・文久三年(1863年)6月13日ごろ(!?)●・『勝海舟・小笠原壱岐守らの仲介により竜馬と甲宗助の決闘が中止される』 6月の初旬、竜馬は神戸海軍塾生の乾十郎が水戸浪士甲宗助に殺害されようとしたのを救った。ところが甲宗助らは、竜馬に逆に決闘を…

【今日の竜馬は?】『船中八策』を書き上げる!

●竜馬33歳・慶応三年(1867年)6月12日●・『兵庫に至り、途中「船中八策」を書き上げる』 いろは丸事件を解決した竜馬は、後藤象二郎と共に土佐藩船・夕顔で、長崎から兵庫へ向かった。この船中で竜馬は、新しい国家体制について、持論である大政奉還、無血…

【今日の竜馬は?】一緒に脱藩した沢村と再会!

●竜馬28歳・文久二年(1862年)6月11日●・『下関で別れた沢村惣之丞と大坂で再会』 竜馬はこの年の3月24日に沢村と一緒に土佐藩を脱藩。竜馬はまず長州へ渡り、その後薩摩入りを敢行したが、果たせずに、この日大坂入りしていた。この日、下関で別れた沢村…

【今日の竜馬は?】竜馬、涙に暮れる!

●竜馬12歳・弘化三年(1846年)6月10日●・『母幸、49歳で死去』 竜馬の母・幸は、寛政九年、坂本家二代目八蔵直澄の娘として出生とされるが、一説には八蔵夫妻に子がなかった為、妻の実家から養女として迎えられたとも言う。のちに山本常八郎(のち八平直足…

【今日の竜馬は?】夕顔に乗って京都へ

●竜馬33歳・慶応三年(1867年)6月9日●・『岩崎弥太郎から餞別として馬乗袴を送られ、後藤象二郎と共に海路を京都へむかう』 いろは丸事件のこともあり、岩崎は餞別を出したのだろう。いろは丸事件の賠償金は8万3千両の約束になった。この日の正午頃土佐…

【今日の竜馬は?】竜馬、中江兆民少年と出会う

●竜馬33歳・慶応三年(1867年)6月8日●・『中江某に出会う』 この日、竜馬は岩崎弥太郎と同行している。『岩崎弥太郎御用日記』によると、「八日 薩州邸へ容堂様(中略)、智鏡院様(中略)之御書を持参、中江某に相渡。」とある。この中江某は、中江兆民…

竜馬最後の日に話した海援隊士

竜馬と中岡慎太郎の暗殺の日、2階の竜馬と話した海援隊士がいる。 それが宮地彦三郎(1839年〜1916年、別名・宮地亀吉、八木彦三郎)だ。高知城下新町田渕(現在の高知市桜井町)の御用人宮地六丞真景の二男として、天保十年十月十五日に生まれた。…

【今日の竜馬は?】竜馬は船主に説明する!

●竜馬33歳・慶応三年(1867年)6月6日●・『岩崎弥太郎と大洲藩士玉井俊次郎を訪ね、いろは丸事件について話す』 すでにいろは丸事件では、紀州藩からの賠償が決まっているが、賠償金額についてはまだ未定。このため、この日、土佐商会(土佐藩)の岩崎を連れ…

【今日の竜馬は?】銅で商売!?

●竜馬33歳・慶応三年(1867年)6月5日●・『かねて長州より売却以来のあった銅の代価を受け取る』 これは海援隊としての仕事の一部ののことか(!?)。亀山社中(海援隊の前身)のときは薩摩藩の庇護の下にあり、交易の仲介や物資の運搬等で利益を得るのを目的と…

【今日の竜馬は?】日本初の新婚旅行終わる…

●竜馬32歳・慶応二年(1866年)6月4日●・『ユニオン号、鹿児島を出港し長崎で楢崎龍(お龍)を小曽根英四郎方に託す』・『下関へ向けて長崎を出港』 この年の前半は竜馬とお龍の鹿児島への新婚旅行がハイライトだ。で、この日、その新婚旅行も終わり、お龍を…

【今日の竜馬は?】弥太郎と酒を飲む!

●竜馬33歳・慶応三年(1867年)6月3日●・『岩崎弥太郎を訪ねて、その素心を聞く』・『後藤象二郎と面談し、小銃の代価について五代才助(友厚)方へ出かける』 竜馬はいろは丸事件の賠償額について検討しているところ。岩崎とはこの日、酒を酌み交わしたよう…

【今日の竜馬は?】最後の敵討ちを手助けする!

●竜馬29歳・文久三年(1863年)6月2日●・『広井磐之助、仇討ちをとげる、竜馬はこれを助ける』 安政二年(1855)父広井大六が棚橋三郎なる男に斬殺される事件が起きた。棚橋を討ち取るため、広井は九年にわたり四国、九州、中国を歩き回っていたが、見…

【今日の竜馬は?】新婚旅行中!

●竜馬32歳・慶応二年(1866年)6月1日●・『楢崎龍(お龍)と共にユニオン号(桜島丸)へ乗り込む』 竜馬とお龍は鹿児島にいる。3ヵ月におよぶ、新婚旅行中だ。この日は、いよいよ鹿児島を発つためにユニオン号に乗り込んだ。ただし、実際に鹿児島を出発したの…