2004-08-01から1ヶ月間の記事一覧

【今日の竜馬は?】土佐勤王党に9番目に血判加盟する

●竜馬27歳・文久元年(1861年8月31日)●・『土佐勤王党へ加盟する』武市半平太が党首となり江戸で薩摩の樺山三円、長州の久坂玄瑞らと提携し「土佐勤王党」を結成、血盟者192名、竜馬は第9番目に血判加盟している。 実際には竜馬は9月に入ってから加盟し…

【今日の竜馬は?】キリシタンを利用して討幕を考える

●竜馬33歳・慶應三年(1867年8月30日)●・『岩崎弥太郎をたずね、国事を談じたあと、料亭・嘉満楼へ』 経済的な話しをからめての議論しあったのだろう。・『佐々木三四郎をたずね、キリシタンを利用しての討幕などを語り合う。そのまま宿泊』 長崎という場所…

【今日の竜馬は?】徹夜で奉行所襲撃計画を練る

●竜馬33歳・慶應三年(1867年8月29日)●・『佐々木三四郎と昨夜からの話を寝床でも続ける』 佐々木とよほどウマが合ったのだろう、長崎奉行所襲撃計画で盛り上がってしまったのかもしれない。 佐々木は翌年1月に実際に長崎奉行所襲撃を実行し、成功させてい…

【今日の竜馬は?】長崎奉行所襲撃計画を練る

●竜馬33歳・慶應三年(1867年8月28日)●・『佐々木三四郎方を訊ねて、そのまま宿泊する』 ここのところ佐々木との交流が盛んな竜馬。その内容はかなり過激だったようだ。長崎奉行所管の10万両を、一朝事起これば奪い取る計画を立てていたという。 このころ…

【今日の竜馬は?】上海密航のカギを握る男を紹介する

●竜馬33歳・慶應三年(1867年8月27日)●・『福原往弥らの訪問をうけ、佐々木三四郎にも伝える』 福原(別名・和勝)は長州藩士で、精兵隊や報国隊などを組織するなど行動力のある人物。また、この年上海に竜馬と共に密航したのではないかとも云われている(真相…

【今日の竜馬は?】桂小五郎より礼状届く

●竜馬33歳・慶應三年(1867年8月26日)●・『桂小五郎から礼状が届き、佐々木三四郎に見せる』 桂へ土佐藩から金を貸したお礼のよう。藩の大監察である佐々木へこの礼状を回送した。・『佐々木らと長崎の藤屋にて会飲』 桂の礼状を見せた後に、海援隊士も伴っ…

【今日の竜馬は?】ニセ金を持ち帰るよう指令する

●竜馬32歳・慶應二年(1866年8月25日)●・『越前藩士・下山尚を訊ねる』 下山は維新後は三重県大書記官などを歴任する。このとき訊ねた理由は調べてみたが、はっきりとしない。●竜馬33歳・慶應三年(1867年8月25日)●・『石田英吉に二十両遣わすよう佐々木三四…

新撰組に叩き起こされる!

NHKの大河ドラマ『新撰組!』のキャラを使ったアラーム時計が発売になる。 それがリズム時計工業の『大河ドラマ新選組! R06』だ。 ウリとしては音声で操作を確認できること。たとえばアラームをセットすると、「ちゃんと起こすから ゆっくり休めよ」と音声…

【今日の竜馬は?】藩船を呼び戻す

●竜馬33歳・慶應三年(1867年8月24日)●・『佐々木三四郎らと面談し、横笛丸の呼び戻しを協議、石田英吉らの派遣を決定』 佐々木は土佐藩士で土佐藩大監察の役についていた人物。藩船である横笛丸をイカルス号事件のため長崎へ呼び戻す協議をしたようだ。石田…

【今日の竜馬は?】勝海舟に情勢を伝える!

●竜馬30歳・元治元年(1864年8月23日)●・『京都から神戸へ。勝海舟に京都や薩摩藩の情勢を伝える』 竜馬は海舟と共に、海軍操練所の創設を目指している。この月の初旬に京都で西郷隆盛らと会談などもしてるので、そのあたりのことを海舟に伝えたのだろう。●…

【今日の竜馬は?】脱藩後、江戸の千葉道場へ

●竜馬28歳・文久二年(1862年8月22日)●・『江戸に行き桶町千葉家に入る』 この文久2年に竜馬は土佐藩を脱藩している。桶町千葉家は、千葉定吉の道場のこと。竜馬は長州から九州・薩摩へ(入国は拒否された)と旅している。この脱藩で、多くの人(志士)たちと出…

【今日の竜馬は?】竜馬、小五郎に批判される!

●竜馬33歳・慶應三年(1867年8月21日)●・『岩崎弥太郎に千両の借金を依頼する』 この金は、桂小五郎へ貸すもの。同日桂は竜馬あてに手紙を書いている。内容は?建白論は「老婆の理屈」と批判と忠告?だった。老婆の理屈というのは、「やるやると云ってやらない…

【今日の竜馬は?】再度の江戸剣術修行へ

●竜馬22歳・安政三年(1856年8月20日)●・『再び剣術修行一ヶ年間を許され高知を出発し江戸へ』 江戸では武市半平太、大石弥太郎らと同宿になっている。半平太の中では、土佐勤王党の構想はすでにあったのではないだろうか。竜馬はまだ志士とはいえない若者で…

【今日の竜馬は?】竜馬、養子を断る!?

●竜馬22歳・安政三年(1856年8月19日)●・『剣術修行のため江戸へ』 初めて江戸へ出立。希望に胸が膨らんでいたに違いない。●竜馬29歳・文久三年(1863年8月19日)●・『権平の養子問題について河原塚茂太郎にあてに手紙を書く』 坂本権平は竜馬の兄にあたる。…

【今日の竜馬は?】イカルス号事件で役所へ出頭する

●竜馬33歳・慶應三年(1867年8月18日)●・『佐々木三四郎をたずね、横笛丸呼び戻しについて協議し、その後共に立山奉行所に出頭する』 竜馬は今日もイカルス号水夫殺人事件に振り回されている。長崎立山奉行所へ竜馬ら海援隊士や佐々木が出頭する。現地調査が…

【今日の竜馬は?】竜馬、刀を贈る!

●竜馬33歳・慶應三年(1867年8月17日)●・『岩崎弥太郎、佐々木三四郎をそれぞれ個別に訊ねる』 今日もイカルス号事件で協議を重ねているようだ。・『中井庄五郎に贈る刀「青江吉次」の添え状を書く』 十津川郷士の中井とは一晩酒を酌み交わした仲。そのとき…

【今日の竜馬は?】長崎で殺人事件の件で隊士と共に協議する

●竜馬32歳・慶應二年(1867年8月16日)●・『小曽根英四郎の迎えのため入江屋重平の番頭・与平を下関へ送る』 海援隊士の小曽根は大坂から書簡を長崎の竜馬に届ける途中、長州を通過中に幕府の間者と間違われてしまう。そのため豪商の伊藤九三らに身元引き受け…

【今日の竜馬は?】犯人捜査に1000両懸賞金を出す!?

●竜馬32歳・慶應二年(1867年8月15日)●・『長崎へいたる』 海援隊士・小曽根英四郎のこと(既出↓)を心配しつつ大坂から船旅で長崎へ。●竜馬33歳・慶應三年(1867年8月15日)●・『長崎にて、佐々木三四郎方にて松井周助・岩崎弥太郎らと徹夜で談ずる』 イカルス…

【今日の竜馬は?】愛妻を紹介する!

●竜馬33歳・慶應三年(1867年8月14日)●・『下関に寄港し、佐々木三四郎へ楢崎龍(お龍)を紹介』 イカルス号水夫殺人事件の海援隊士の嫌疑を晴らすために、大坂より長崎へ向かう途中、下関の豪商である伊藤宅に滞在中のお龍を土佐藩士の佐々木に紹介したもの。…

【今日の竜馬は?】スパイ容疑の海援隊士を助ける

●竜馬32歳・慶應二年(1866年8月13日)●・『森玄道・伊藤九三らに小曽根英四郎の身柄の保証を依頼した手紙を書く』 大坂町奉行から托された書簡を長崎奉行へ届ける途中、長州で幕府の間者ではないかという嫌疑をうけ抑留。このため竜馬は懇意にしている長州商…

【今日の竜馬は?】水夫殺人事件のために長崎へ

●竜馬33歳・慶應三年(1867年8月12日)●・『佐々木三四郎・岡内俊太郎らと共に夕顔丸で長崎へ出帆』 イカルス号水夫殺人事件は、長崎にて現地調査と交渉を行うことに決まる。このため竜馬は、土佐藩船・夕顔で佐々木、岡内俊太郎、アーネスト・サトウらと共に…

竜馬とたった一度の出会いで命を捧げた男

それが十津川(現・奈良県十津川村)郷士・中井庄五郎だ。 中井は弘化4年(1847)野尻に生れ、居合の達人で、?人斬り庄五郎?といわれた男だ。 文久3年(1863)御所警衛のために上京している。慶応2年に長州藩の品川弥二郎に頼まれて、新撰組の村岡伊介を一刀…

【今日の竜馬は?】花押入り手紙を書く

●竜馬29歳・文久3年(1863年8月10日)●・『村田巳三郎にあて花押入りの手紙を書く』 村田は福井藩士。福井藩に横井小楠を招聘するため熊本へおもむき尽力している。また将軍継嗣問題では松平春嶽のもと、中根雪江、橋本左内らと共に活躍している。竜馬とはこ…