2004-05-01から1ヶ月間の記事一覧

【今日の竜馬は?】海援隊の宗教本発刊!?

●竜馬33歳・慶応三年(1867年)5月中●・『長岡謙吉による『閑愁録』を発表』 海援隊の書記のような役目をしていた隊士の長岡が竜馬らの論説をまとめたもの。内容は信教問題に触れ、日本古来の、仏教、神道の宗教や文化が崩壊すると、危機感を説いた論集。竜…

脱藩してまで海援隊士になりたかった男!

砲術の名人で、操船も得意という海援隊士がいる。 それが野村辰太郎(1844年〜1903年、別名・野村要輔・野村維章)だ。野村は、土佐国土佐郡小高坂村(現在の高知市大膳町)で土佐藩士、白札格の野村亀四郎の長男として誕生している。野村家は砲術方…

【今日の竜馬は?】竜馬、最良の日♪

●竜馬30歳・元治元年(1864年)5月29日●・『徳川幕府、神戸海軍操練所建設の覚書を発す』 竜馬はこの年、勝海舟の念願であった海軍操練所の発足に奔走して、ようやく幕府からこの日、建設の許可が降りたということだ。至福のときだったに違いない。 また、…

【今日の竜馬は?】竜馬の暗殺失敗!

●竜馬31歳・慶応元年(1865年)5月28日●・『安芸守衛と共に太宰府を出立する』 竜馬は、薩摩から長州へ向かう途中、三条実篤ら五卿と面談。薩長同盟について語ったと思われる。そして今日はいよいよ長州へ旅たった。●竜馬33歳・慶応三年(1867年)5月28日●…

【今日の竜馬は?】いろは丸の談判順調♪

●竜馬29歳・文久二年(1862年)5月27日●・『京都福井藩邸にて中根雪江と面談』 中根は藩主・松平春嶽の教育役として活躍した藩士で、幕末の藩や春嶽の行動に影響を与えた。竜馬も得るものが多かったに違いない。●竜馬33歳・慶応三年(1867年)5月27日●・『…

【今日の竜馬は?】三条実美に謁見!

●竜馬29歳・文久二年(1862年)5月25日●・『檮原村の那須信吾方に宿泊し、那須俊平に道案内を依頼する』・『権平、竜馬の行方不明を藩へ届け出る』・『平井収二郎、竜馬の脱藩について平井加尾へ手紙を送る』●5月26日●・『伊予大洲藩領泉ヶ峠に宿泊』 29歳…

【今日の竜馬は?】五卿に拝謁!

●竜馬31歳・慶応元年(1865年)5月24日●・『五卿に拝謁し、小田村素太郎と面談』 竜馬はこの日、大宰府にいる。大宰府には攘夷派の公家たちが落ち延びていて、このうち五卿と面会したようだ。長州から大宰府に三条実美ら公家が移ったのは、第一次長州征伐後…

【今日の竜馬は?】大宰府に船で到着!

●竜馬31歳・慶応元年(1865年)5月23日●・『太宰府へ至り、薩摩藩士渋谷彦助と面談する』 竜馬は薩長同盟のために薩摩から長州へ向かう途中。竜馬は19日から肥後(熊本)の横井小楠に会ったりしている。その日のうちの米ノ津(鹿児島)から船で大宰府(現・福岡)…

【今日の竜馬は?】いろは丸事件で大忙し!

●竜馬33歳・慶応三年(1867年)5月22日●・『いろは丸事件の交渉が聖徳寺で再開される』・『岩崎弥太郎と会い、前日の願書が後藤象二郎に届けられた旨を知らされる』・『後藤象二郎らとオールト宅で会飲し、英国海軍の提督をたずね面談』 竜馬は、いよいよ長…

【今日の竜馬は?】西郷、長州を無視して京都へ

●竜馬31歳・慶応元年(1865年)閏5月21日●・『中岡慎太郎が下関へ至り西郷隆盛(吉之助)が京都に直行した旨を伝えられる』 31歳の竜馬の今日は、薩長同盟のために西郷に下関で会うために待機していたところ。ところが、西郷は下関では下船せずにそのまま京都…

ちょっと疎ましい!?竜馬の親戚だった海援隊士

海援隊士の中には、竜馬の血筋に近い人物も多い。この男もそのうちのひとり。 それが坂本清次郎(1842年〜没年不祥、別名・鎌田清次郎・三好賜・三好清明)だ。清次郎は、土佐藩陪臣鎌田常吉の二男。坂本権平の娘(つまり竜馬の姪)春猪の夫。竜馬が権平…

【今日の竜馬は?】横井小楠と会談

●竜馬31歳・慶応元年(1865年)5月19日●・『横井小楠を訪ねて会談』 小楠は、肥後(熊本)に生まれた政治家・思想家。保守的な熊本では受け入れられずに、福井藩や幕政改革などに力を発揮した人。竜馬とも親交があり、実務や思想的にも影響を受けている。竜馬…

【今日の竜馬は?】いろは丸事件、薩長同盟と多忙!?

●竜馬31歳・慶応元年(1865年)5月18日●・『米ノ津にむかう』 慶応元年の竜馬の今日は、旅の途中だ。薩長同盟のために薩摩での根回しが終わり、肥後経由で長州へ向かうところ。米ノ津は現在の鹿児島県出水市米ノ津あたりだろう。●竜馬33歳・慶応三年(1867…

【今日の竜馬は?】手紙を書いたり旅していた日

●竜馬29歳・文久三年(1863年)5月17日●・『神戸海軍操練所の設立を伝える手紙を乙女にあて書く』●竜馬31歳・慶応元年(1865年)5月17日●・『川内宿より阿久根宿にむかう』●竜馬33歳・慶応三年(1867年)5月17日●・『三吉慎蔵にあて手紙を書く』 竜馬は神…

【今日の竜馬は?】勝塾、薩長同盟、いろは丸事件!

●竜馬29歳・文久三年(1863年)5月16日●・『勝塾への資金援助を依頼するため福井の松平春嶽のもとへ出立』●竜馬31歳・慶応元年(1865年)5月16日●・『薩長同盟実現のため鹿児島を出立』●竜馬33歳・慶応三年(1867年)5月16日●・『紀州藩との交渉が続く』 …

【今日の竜馬は?】いろは丸の談判佳境に!

●竜馬33歳・慶応三年(1867年)5月15日●・『いろは丸衝突・沈没事件の決着に向け、紀州藩との交渉が始まる』 竜馬の今日は、いよいよいろは丸事件の談判が始まる日だ。紀州側は長崎奉行に働きかけて、談判を有利に運ぼうとした。竜馬は長州の桂小五郎に相談…

【今日の竜馬は?】肥後藩士・荘村と会談!?

●竜馬33歳・慶応三年(1867年)5月14日●・『荘村助右衛門と面談』 長崎にいる竜馬の今日は、肥後藩士・荘村助右衛門(省三)と会っている。これは薩長土肥同盟のためではないかといわれている。それは荘村と桂小五郎(木戸孝允)ともコンタクトを取り、桂は竜馬…

【今日の竜馬は?】決死の覚悟でいろは丸処理!?

●竜馬33歳・慶応三年(1867年)5月13日●・『海援隊士達、別便で長崎に到着』・『橋本麒之助をともない、高柳楠之助の宿をたずねる』・『伏見寺田屋にあて手紙を書く』 竜馬33歳の今日、いろは丸衝突・沈没事件の処理にさっそく取り掛かっている。高柳は、衝…

竜馬に射撃を教えた海援隊士!?

竜馬やお龍にピストルの撃ち方を指南した海援隊士がいた。 それが小曽根英四郎(1841年〜1890年)だ。 長崎の書家小曽根六郎左衛門の四男。小曽根乾堂の末弟。高島秋帆に高島流西洋砲術を学び、鉄砲の扱いに秀でたために、竜馬と楢崎龍(お龍)へピス…

【今日の竜馬は?】いろは丸事件のために『万国公法』を取り寄せる

●竜馬33歳・慶応三年(1867年)5月11日●・『秋山某に「万国公法」の送付を願う』 竜馬の今日は、いろは丸衝突・沈没事件のために長崎にいる。この『万国公法』を頼んだのは、印刷して相手方(紀州藩明光丸)などに配るため。つまり、竜馬はあくまでも万国公法…

【今日の竜馬は?】薩長同盟根回し&いろは丸事件処理

●竜馬31歳・慶応元年(1865年)閏5月10日●・『椋梨伝八郎が訪問』●竜馬33歳・慶応三年(1867年)5月10日●・『長崎に到着』 竜馬31歳の今日は、下関滞在中で薩長同盟の根回し中。椋梨は長州藩士(!?)。 竜馬33歳の今日は、いろは丸衝突事件の後処理で、紀州…

竜馬が名付け親となった海援隊士!

日本人として最初に咸臨丸で太平洋を横断した海援隊士がいる。 それが佐柳高次(1835年〜1891年、別名は前田常三郎・浦田常三郎・浦田運次郎・軍次郎)だ。 瀬戸内海塩飽・佐柳島本浦(現・香川県仲多度郡多度津町佐柳)の人名・浦田音三郎の長男と…

【今日の竜馬は?】桂小五郎と会談中!

●竜馬31歳・慶応元年(1865年)閏5月8日●・『土方楠左衛門と共に桂小五郎らの訪問をうける』 竜馬は、薩長同盟の根回し中だ。竜馬は下関の伊藤助大夫宅(自然堂!?)や腰綿屋弥兵衛方に滞在しながら、長州藩士たちと面談を繰り返している。桂のほかに、時田少…

【今日の竜馬は?】英国船を見に行く!

●竜馬31歳・慶応元年(1865年)閏5月7日●・『英国船を見物に出かける』 この5月、頭に社中を設立した竜馬。薩長同盟に向けて奔走している時期だ。桂小五郎など長州藩への根回しに余念がない。 船好きの竜馬らしい。もしかすると船の購入を考えていたのか…