2004-02-01から1ヶ月間の記事一覧

【今日の竜馬】最期の日に贈り物をしたオトコ!?

慶応3年(1987年)11月15日午後6時すぎ、海援隊士の宮地彦三郎、長岡謙吉が近江屋に寄った。だが、中岡慎太郎と竜馬は2階で密議中だったので、「一旦、帰宿して改めて訪問します」と一階から声をかけ帰った。 その後、この男が掛け軸をもって訪問。誕生日…

【今日の竜馬】長崎でのスポンサーは竜馬にぞっこん!?

■竜馬は支援者に恵まれているようで、どの土地でも厚いもてなしを受けている。長崎ではこの男の支援を受けていた。 その男は小曽根乾堂(1828年〜1885年) 別名は小曽根六郎、または小曽根栄。天保11年、長崎本博多町の豪商小曾根六左衛門の四男として生まれ…

【今日の竜馬】竜馬を叱り付けた外国人!?

■幕末、開国されると外国人が多数来日した。もっとも必要とされたのが通訳である。そのひとりに竜馬は怒鳴られたことがある…… その外国人がアーネスト・M・サトウ(1843年〜1929年 別名:佐藤愛之助)だ。サトウは、イギリス出身。ロンドンはクランプトンに…

【今日の竜馬】サムライになりたかった用心棒

■暗殺の夜、十津川藩郷士と名乗る3人の刺客が訪れる。そのときに対応したのが藤吉。二階の竜馬に名刺を渡そうとしたときに、背後から切られた。この夜の最初の犠牲者となったのだ。その藤吉とは? 藤吉は、山田藤吉(1848年〜1867年別名:雲井龍)といい、近…

【今日の竜馬】雅号・自然堂はこの男の家から生まれた!?

■竜馬の雅号である自然堂(じねんどう)は、この男の家の額の書から生まれたらしい。また、竜馬の暗殺時には、お龍はこの男の世話になり、自然堂と呼ばれる一室で過ごしていた。 その男とは伊藤九三(1830年〜1872年別名:伊藤助太夫・フォンデンブルグ)だ。 …

【今日の竜馬】幕末の志士たちを撮り続けた男

■竜馬の写真といえば、いちばん有名な写真が右手を懐に入れた立像だ。その写真を撮影したのが、上野彦馬。 上野彦馬(1838年〜1904年)は天保9年長崎・銀屋長で上野俊之丞の二男として生まれた。嘉永六年、16歳で豊後国日田の儒学者広瀬淡窓のもとへ入門し…

【今日の竜馬】竜馬の最期のサポーター!?

■峰吉と同じように、竜馬たちのシンパだったのが京都の商人たち。最期はこの人がサポートしていた。 その商人が近江屋新助(1838年〜1910年)別名は近江屋猶次郎や井口新助。新助は京都河原町で醤油屋を営む近江屋新助の子としてに生まれた。、安政六年に家…

【今日の竜馬】竜馬と慎太郎の最期を見た少年

■慶応3年11月15日、近江屋二階の竜馬と慎太郎の生きているふたりの最期の姿を見たのは、この少年だった。 それは、菊屋峰吉(1851年〜1916年、別名:鹿野安兵衛)で、京都の土佐藩御用達の書店菊屋の長男として生まれている。竜馬や中岡慎太郎から「峰や、峰…

【今日の竜馬】竜馬と一緒に夢をみた男

■竜馬は維新を迎えたら、海援隊や諸国の浪士たちで北海道の開拓をしようと考えていた。その夢を一緒に夢見た男がいた。 その男というのは、北添佶磨(1835〜1864年、別名:北添源五郎、変名:本山七郎)で、土佐藩庄屋北添与五郎の五男。学問を土佐で間崎哲馬…

【今日の竜馬】竜馬と新撰組が遭遇!?

■↓下にも竜馬と新撰組が遭遇した記録はないと明記した(しまった笑)が、お龍が新撰組と遭遇したことを『反魂香』の中で話している。ちなみに、『反魂香』は海援隊士安岡金馬の三男安岡重雄が明治三十年、横須賀在住の頃、近くに住んでいたお龍から昔話を聞き…

【今日の竜馬】歴史に埋もれた恩師!?

■竜馬が師と仰いでいる人物というと、勝海舟や千葉定吉などが浮かぶが、じつはまだたくさんの人たちがいる。その中のひとりが、徳弘考蔵(1807年〜1881年)だ。 徳弘考蔵は土佐藩で代々の持筒役をつとめる家の徳弘石門の長男として生まれた。土佐藩十三代目…

【今日の竜馬】陸援隊のその後……

■陸援隊は中岡慎太郎が組織した軍隊で、幹部は田中顕助(光顕)、木村弁之進。大橋慎三の土佐者3名と水戸の香川敬三であり、隊士の数は約70名いたという。竜馬と慎太郎の暗殺後、陸援隊はどうなったのだろうか? 慎太郎の死後、田中顕助たち幹部が中心と…

【今日の竜馬】竜馬の謎の手紙!?

■竜馬の手紙の中に一通の謎の手紙がある。それは、竜馬の初恋の相手ともいわれている平井加尾あての手紙だ。 【文久元年九月十三日付平井加尾宛書簡】先ず先ず御無事と存じ上げ候。天下の時勢切迫致し候に付、 一、高マチ袴 一、ブツサキ羽織 一、宗十郎頭巾…

【今日の竜馬】有名人の竜馬評…

■幕末の志士たちの竜馬評をまとめてみた。ま、いいことが多いけどね(笑)・まずは、武市半平太『肝胆元雄大、奇機自湧出、飛潜有誰識、偏不恥龍名』(肝胆元より雄大、奇機おのずから湧出し、飛潜誰が識る ところある、ひとえに龍名に恥じず) 要するに、懐が…

【今日の竜馬】長崎でのスポンサーだった女性!?

■幕末の志士たちもスポンサーなしでは、活動はできなかった。竜馬もそのひとり。長崎では大浦のお慶さんと呼ばれる女商人にバックアップしてもらっていた。そのお慶とはどんな人だったのだろうか? お慶は1828年(文政11)、思案橋にほど近い長崎市油屋町の旧…

【今日の竜馬】海援隊のその後…(その二)

■一応、(その一)よりお読みください↓m(_ _)m 一方、慶応4年(1868年)上方(関西地方)では長岡謙吉が中心に、同志13人とともに小豆島の占領を企てる。続いて長岡は、征討総督の内意を受け、塩飽島に海援隊士を派遣し、これら諸島の統治権を確保する。それぞ…

【今日の竜馬】海援隊のその後…(その一)

■↓にも簡単に海援隊の竜馬が亡くなった後のことを既報済みだが、調べてみるとかなりいろいろのことをやっているのだ!これは必読! 竜馬が暗殺されたとき、海援隊士は上京中の組と、長崎に残留する一隊とに分かれていた。11月18日、上京組の長岡謙吉、高松太…

【今日の竜馬】竜馬暗殺のリーダーその後…

■京都見回組による竜馬暗殺を指揮したとされる佐々木只三郎のその後は? 慶応3年(1867年)末、大政奉還によって将軍の座を退いた徳川慶喜に従って佐々木只三郎は京を去り大坂へ下る。 翌慶応4年正月には鳥羽・伏見の戦いが起こり、佐々木は京都見回組40…

【今日の竜馬・番外編】新撰組ならタダで宿泊!?

京都ロイヤルホテルではNHKの大河ドラマに便乗してか、新撰組隊士の名前と同姓同名なら無料で泊まれるキャンペーンを開始した。 新選組第一次編成時のメンバーと同姓同名の方は室料をフリーにて利用できる。ほかに、同姓または同名のいずれかに該当する方に…

【今日の竜馬】竜馬の趣味!?

■竜馬の趣味は? といわれても竜馬がなにかに熱中したという記録はないようだ。だが、和歌を書いたり、歌をつくったりということはやっていて評価は高い。 和歌で有名なのは16歳のときにつくったといわれるもの。『世の人は われをなにとも ゆはばいへ わか…

【今日の竜馬】暗殺犯!?今井信郎のその後…

■今井信郎は京都見回組に属し、坂本竜馬暗殺にかかわったと自供している。今ではこの今井の自供で、実行犯は見回組とされているのが定説だ。その今井とは? 今井信郎は、直心影流・榊原鍵吉の門弟で講武所の師範代をつとめ、剣の達人であったといわれている…

【今日の竜馬】母親のように慕った乙女姉さん

■坂本乙女といえば、?坂本のお仁王さま?と呼ばれるほど体が大きく、おおらかな性格で竜馬の性格形成に大きな影響を与えたという。では、乙女姉さんはどんな生涯を送ったのだろうか? 乙女は竜馬よりも3歳年上で、体が大きく5尺8寸(約174cm)、30…

【今日の竜馬】竜馬の愛した妹(!?)の生涯

■竜馬には妹はいないが、妹のように可愛がった女性がいる。8歳年下の姪の坂本春猪だ。 天保14年(1843年)12月14日〜?(没年、享年、墓所などは現在も不明)。 土佐藩士坂本権平の娘。母は川原塚氏。竜馬は手紙に春猪のことを姉の乙女宛にたびたび書いている…

【今日の竜馬】竜馬が食べ損なった軍鶏鍋!?

■慶応3年11月15日の夕刻、中岡慎太郎と話し込んでいた竜馬がそばにいた峰吉に「軍鶏鍋でも食おうか、買うてきーや」といい使いに出す。ところが、その直後、竜馬と中岡と藤吉しかいなくなった近江屋の2階に刺客が上がり3人とも斬殺されてしまう。軍鶏を買…

【今日の竜馬】後藤象二郎と竜馬

■後藤象二郎は土佐藩士で、竜馬より3歳年下。竜馬と共に行動して大政奉還を成功させている。その象二郎とはどんな人物だったのか? 天保9年(1838年)、高知城下生まれ。維新後は政治家として活躍。義理の叔父でもある吉田東洋が開いた鶴田塾で、一つ違いの板…

【今日の竜馬】海援隊は火の車だった!?

■海援隊は竜馬のつくった商社。その内情はどうだったのだろうか? 慶応3年(1867年)4月、亀山社中は海援隊として生まれ変わり土佐藩の後藤象二郎の管理下におかれ、竜馬は海援隊隊長に任命された。 海援隊は土佐藩に属していたが、その経費は海援隊の…

【今日の竜馬】竜馬は海軍操練所で習ってない!?

■神戸海軍操練所といえば、勝海舟がつくった教育機関。竜馬もそこで船の操船を習ったといわれるが……。 江戸時代の末期に当時の軍艦奉行並・勝海舟の建言で、神戸に設けられた幕府の海軍教育機関が『神戸海軍操練所』だ。 じつは海舟はこの海軍操練所と平行し…

【今日の竜馬】竜馬と船

■竜馬の船好きは海援隊をつくった理由のひとつに船の操縦を修得するという項目があったことでもわかる。竜馬は何隻の船と関わっていたのだろうか? 主なもので4隻の船と関わっていた。・ユニオン号 池内蔵太らを乗せ沈没した船 ・ワイルウェフ号 竜馬ら海援…

【今日の竜馬】空白の5日間!?竜馬脱藩ルート

■文久2(1861)年3月24日夜、竜馬28歳のとき道案内の澤村惣之丞をお供に土佐を脱藩する。竜馬の志士としての本当の活躍はそこからスタートしたといっても過言ではないだろう。じつはその詳しいルートは最近までよくわかっていなかった。記録にはない空白の5日…