2004-07-01から1ヶ月間の記事一覧

竜馬暗殺の嫌疑で近藤勇を斬首した男

竜馬の暗殺は新撰組と決めつけ、戊辰戦争で近藤勇が投降してくると、武士らしい死を認めずに斬首させた男がいる。 それが、谷干城(たに・たてき1837年〜1911年、別名・守部、申太郎・清兵衛)だ。土佐南学派を再興した神道家・谷万七の長男として生…

【今日の竜馬は?】竜馬、お殿様に助けを求める!

●竜馬22歳・安政三年(1856年7月29日)●・『再度の武芸修行のため江戸への出立を藩に願い出る』 19歳で江戸の北辰一刀流千葉定吉道場に剣の修行に出て、翌年に帰国している。この日は二度目の藩への願いを出したという日だった。まだ、竜馬は志士ではなく、単…

【今日の竜馬は?】竜馬、亀山社中の解散を決意する

●竜馬30歳・元治元年(1864年7月28日)●・『翔鶴丸で江戸より神戸へ帰る』 勝海舟と共に江戸にいて、勝へ北海道移住開拓をなす案を提出したが、池田屋騒動がおき望月亀弥太ら同志を失って断念している。このため竜馬は失意の中にあったのではないだろうか。●…

【今日の竜馬は?】奇しくも同日に宇和島藩主に拝謁!?

●竜馬31歳・慶應元年(1865年7月27日)●・『福岡藤次と共に伊予宇和島藩主・伊達宗城に拝謁』 福岡は土佐藩士、伊達宗城は尊皇派。このとき竜馬は、薩長同盟締結のために奔走していたのでその話で拝謁したのではないか。●竜馬32歳・慶應二年(1866年7月27日)●…

竜馬が遊びに誘った土佐藩士!?

竜馬はもとより海援隊士とも親交が深かった土佐藩士がいる。 それが佐々木高行(1830年〜1910年、別名・三四郎、万之助、信頼)だ。土佐藩上士佐々木高順の長男。生前に父を失い、母に養育された。父の死後禄高は減少し、転々と住居を変え、貧窮の中…

【今日の竜馬は?】殺人事件で西郷に意見を求める

●竜馬29歳・文久三年(1863年7月25日)●・『勝海舟にあて佐藤与之助と連名で手紙を送る』 陸奥陽之助(宗光)の敵討ち逆恨みの件か!?竜馬と共に大坂町奉行松平勘太郎に面談し、その内容を海舟に知らせた。佐藤は庄内藩の郷士から幕臣となった人物。勝塾から海軍…

竜馬から?亀?と呼ばれた男!

それが土佐藩士の望月亀弥太(1838年〜1864年)だ。 土佐藩新白札格望月団右衛門の二男として生まれている。 竜馬と親交のあった望月清平は兄なので、若いころから竜馬とは知り合っているようだ。文久年間、土佐勤王党へ加盟し、文久二年に山内容堂…

【今日の竜馬は?】竜馬、友人にお金の無心をする

●竜馬28歳・文久二年(1862年7月23日)●・『大坂で桶口真吉に会い、一両を贈られる』 28歳の竜馬は、この年脱藩している。長州や薩摩(入国できなかった)を訪れたりしていた。このため路銀などを使い果たしていたのではないか。大坂に入り同郷(!?)の樋口に出会…

【今日の竜馬は?】竜馬、陸奥の庇護を願い出る

●竜馬29歳・文久三年(1863年7月22日)●・『岡田造酒助を京都越前藩邸にたずね陸奥陽之助の庇護を願う』 これはこの月の上旬の土佐藩士広井磐之助の仇討ちの一件で、水戸浪士から陸奥(宗光)が狙われているためではないかと思われる。 竜馬が慕われるのが、こ…

竜馬が使った!?長崎で幕末の拳銃発見!

アサヒコムによると、19世紀に製造された回転式拳銃1丁が、長崎県松浦市の旧家で見つかり、警察が回収したとのこと。 拳銃が見つかった家は元平戸藩士の家系で、刀剣愛好家の先代が入手したらしい。 米S&W社製で、竜馬が「寺田屋事件」で使用したものと同…

【今日の竜馬は?】竜馬、京都へ戻る

●竜馬31歳・慶應元年(1867年7月20日)●・『竜馬、大坂から京都へ戻る』 このとき、竜馬はまだイカルス号英国水兵2人殺害事件に関し海援隊に嫌疑がかかっていることを知らない。また、船中八策による大政奉還など山内容堂に説くための工作など、問題は山積し…

【今日の竜馬は?】田中顕助、竜馬と中岡を助ける

●竜馬31歳・慶應元年(1867年7月19日)●・『長州へむかう中岡慎太郎・田中顕助らを伏見まで見送る』 この年、薩長同盟に向けて奔走する竜馬であった。7月上旬に亀山社中隊士の田中顕助(光顕)は十津川より上京して、竜馬や中岡の補助して薩長和解に尽力して…

【今日の竜馬は?】陸奥宗光、総合商社を提案す

●竜馬33歳・慶應三年(1867年7月18日)●・『陸奥陽之助「商法の愚案」を提出する』 陸奥(宗光)は、海援隊の更なる商取引の近代化と兵庫や大阪、箱館に支店を置き、海外進出をも考えた『商法の愚案』と称する意見書を竜馬に提出している(この年9月)。竜馬もこ…

直情型の典型の長州藩志士といえば!?

それが久坂玄瑞(くさか・げんずい、1840年〜1864年、別名・秀三郎、誠、義質、義助)だ。 久坂は、天保11(1840)年、長門国萩平安古八軒屋に次男として生まれる。安政元年に父と兄を亡くして、家督を相続する。松下村塾の吉田松陰に師事し、思想的な…

維新三傑のひとり・桂小五郎

このブログでも再々登場している人物だ。クローズアップしていなかったのが不思議なくらい(笑)。 それが木戸孝允(1833年〜1877年・別名/桂小五郎、木戸貫治、木戸準一郎)だ。維新の三傑の一人。 長州藩(山口県)出身。幕末期は桂小五郎の名前の…

?生き仏?となった海援隊士!?

それが、島村要(1844年〜1922年、別名・島本虎豹・土岐真金)という海援隊士だ。 島村は土佐藩足軽島本信平の長男として生まれる。慶応二年、藩命によって京都藩邸詰となった翌年、海援隊に参加したらしい。 高知県に提出した「土岐真金履歴書」に…

竜馬の手紙1633万円で落札!

既報済み(↓)だが、所在が分からなくなって、約20年ぶりに公開されオークションにかけらていた竜馬の手紙が、東京・神田で11日に、1633万円で落札された。 主催者の古書店団体「明治古典会」によると、落札したのは開館準備を進めている文化施設。施設名、所…

海援隊の記録は任せとけ!

竜馬のさまざまな草案や海援隊が出した書物を形にしたのはこの男だった。 それが長岡謙吉(1834年〜1872年、別名/今井橘生・今井純正・長岡敦美・長岡恂など)だ。土佐国高知城下浦戸町(現在の高知市南はりまや町)で、天保五年医者・今井孝順の子…

竜馬の凶報を素早く伝えた海援隊士

それが山本洪堂(別名・山本復輔、生没年月不詳)だ。 山本は、亀山社中が結成されて間もなく参加したものと推測されており、記録上では慶応二年十二月二十日の、竜馬から伊藤助太夫宛の書簡が初出だ。その後海援隊に参加し、陸奥陽之助らと共に大阪に駐在して…

竜馬の手紙、オークションに!

竜馬の手紙がオークションにかけられる。 その手紙は文久2(1862年)年8月14日付(文久3年の説もあり)のもので、竜馬が姉乙女にあてた手紙だとか。 東京都千代田区の東京古書会館で開かれるオークション「七夕古書大入札会」に約20年ぶりに登場し…

【今日の竜馬は?】竜馬、ライバル会社に苦慮する

●竜馬33歳・慶應三年(1867年7月10日ごろ)●・『幕府の兵庫商社設立に対し、対抗策を案出する』 兵庫商社は幕臣の小栗上野介が日本最初の株式会社。商社の役員は頭取の山中善右衛門(鴻池屋)ら3名、肝煎りに6名の商人、残りの11名は世話役とする構成。商…

【今日の竜馬は?】竜馬、薩摩の動きに目を配る

●竜馬33歳・慶應三年(1867年7月9日)●・『黒田了介(清隆)・永山弥一郎らの訪問をうける』 黒田と永山は後の陸軍軍人になり、黒田は総理大臣にもなる人物。このときの訪問はおそらく竜馬の薩摩藩の討幕挙兵反対のことではないだろうか。後にふたりとも戊辰戦…

【今日の竜馬は?】竜馬、頭を抱える!?

●竜馬33歳・慶應三年(1867年7月8日)●・『イカルス号水兵殺害下手人福岡藩士金子才吉自刃』 イカルス号事件の真犯人である金子はこの日自殺している。だが、竜馬はもとより英国公使のパークスもこのことを知らずにいる。パークスは事件のあった翌朝に「横笛…

いろは丸事件談判の家公開へ

福山市鞆町の『坂本龍馬ゆかりの家』が今月始めに一時的に一般公開された。 民宿としての再生を目指す地元の特定非営利活動法人(NPO法人)鞆まちづくり工房が改修工事に入る前に、多くの人に関心を持ってもらおうと企画したもの。 竜馬の家は江戸後期の…

【今日の竜馬は?】海援隊士、殺人事件の被疑者にされる!?

●竜馬33歳・慶應三年(1867年7月6日)●・『長崎で英国軍艦イカルス号の水兵二名が殺害され、海援隊士にその嫌疑がかかる』 6日の夜更けにその事件は発生した。イギリス軍艦イカルス号の乗り組み水夫ロバート・フィードと、ジョン・ホッチングスの両名が、長…

【今日の竜馬は?】竜馬、大坂に

●竜馬33歳・慶應三年(1867年7月5日)●・『長岡謙吉と共に大坂にいたる』 この大坂入りは、薩摩藩の討幕挙兵の件で薩摩との話し合いのための根回しのために大坂へ向かったのではないかといわれている。後日、薩摩藩士たちと面談などしている。 竜馬はこのとき…

【今日の竜馬は?】竜馬、やじ馬を願い出る!?

●竜馬32歳・慶應二年(1867年7月4日)●・『桂小五郎に手紙を書く』 竜馬は下関に到着する。下関海戦再開に「やじ馬させてはくれまいか」(桂あて書翰)と手紙を書いている。幕府軍との海戦が再会されればということだろう。●竜馬33歳・慶應三年(1867年7月4日…

【今日の竜馬は?】竜馬、長州藩内を移動する

●竜馬32歳・慶應二年(1866年7月3日)●・『小郡より下関へむかう』 先月、竜馬は幕府軍を迎え撃ち勝利に導いた。このため、藩主毛利敬親に拝謁しそのまま、山口に滞在していた。 長州対幕府の戦争で、竜馬は海援隊が操作する乙丑丸は海戦、丙寅丸(機関長田中…

【今日の竜馬は?】西郷、集会を開く!

●竜馬33歳・慶應三年(1867年7月2日)●・『西郷隆盛より後藤象二郎にあて、柏亭にて有志らと集会を開きたい旨を伝えられる』 これは竜馬が薩摩の討幕挙兵の動きに対して延期するように求めていることに、西郷が反応したもの。後藤は竜馬の意見に賛成で土佐藩…

【今日の竜馬は?】竜馬、薩摩をけん制する

●竜馬29歳・文久三年(1863年7月1日)●・『近藤長次郎と共に京都福井藩邸をたずね村田巳三郎に面談』 近藤とは同郷。勝塾などに参加。神戸海軍操練所の資金援助を福井藩主の松平春獄に願い、承諾を得ていたので、そのあたりの相談ではないだろうか。●竜馬33歳…