?生き仏?となった海援隊士!?

それが、島村要(1844年〜1922年、別名・島本虎豹・土岐真金)という海援隊士だ。
 
 島村は土佐藩足軽島本信平の長男として生まれる。慶応二年、藩命によって京都藩邸詰となった翌年、海援隊に参加したらしい。
 高知県に提出した「土岐真金履歴書」によると竜馬・中岡慎太郎暗殺のとき、福岡藤次から暗殺を知らされた島村は岡本健三郎と一緒に近江屋へ駆けつけ、慎太郎から遺言を聞き、これを田中顕助に伝えたという。
 慶応四年、海援隊長岡謙吉らと讃岐塩飽諸島の鎮撫に活躍し、島民たちから「活き仏さま」といわれ、島村要の「島」の字と八木彦三郎(宮地彦三郎)の「八」の字を取り、合わせてて名づけられた「八島神社」がある
 維新後、軍務局に出仕し土佐へ帰国。高知で陶工業をいとなみ、陶工振興に尽力した。

 竜馬と慎太郎の暗殺について直接関わった数少ない証人のひとり。竜馬の死後、活躍した海援隊士ではある。