【エピソード】竜馬の銅像は一人の早稲田大生の発案からできた!?

高知県、桂浜にある現在の銅像はじつは二代目。一代目は、大正15年、早稲田大学の学生だった入交好保という学生が尽力してできたものだった

 大正の時代、竜馬は歴史の中に埋もれた人物だった。竜馬に心酔していた入交は、日本一大きな銅像を作ることを決意。同じ海南中学校の出身で、京大生だった朝倉盛、信清浩男、土居清美らを誘って、大正15年8月に「坂本先生銅像建設会」を発足。その後、同士も増えて盛り上がりをみせ、竜馬をテーマにした映画になったりもしたため、募金は集めに成功、当初予定していた2万円を超えて、2万5000円(現在のお金で7、8000万円)を集めた。
 入交は静岡にいた元宮内大臣伯爵、田中光(中岡の陸援隊に参加)を訪れ、竜馬像建設の趣旨を伝え、田中はこれに応え、秩父宮殿下昭和天皇の弟君)から200円の御下賜金を頂いたりしたため、募金の成功にもつながったようだ。
 完成した竜馬像は高さ5.3m、台座と合わせると13.4mもある銅像が出来上がった。除幕式は昭和3年5月27日に行われ、当時の総理大臣・田中義一らも式に参加した。当時、式に参加した群衆は涙したといわれている。

 ひとりの青年の行動が多くの人を動かし、国を動かすようなうねりになったのは、まるで竜馬とよく似ている。
(昭和3年5月27日、高知市桂浜の除幕式のようす・※リンク切れになることがあります)