【今日の竜馬は?】『約束書』を交わす

●竜馬31歳・慶應元年(1865年12月3日)●
・『下関へ至り、「約束書」を結ぶ』
 大坂より船旅(桜島丸!?)。桜島使用権紛議
のために長州藩海軍局総官・中島四郎と会見し
ている。このとき約束書(桜島丸改定条約)」
結んでいる

・『印藤聿に手紙を書く』
 長府藩士の印藤と竜馬は懇意にしていた。
このため、下関に来ていることなどを知らせた
ようだ。

 「桜島丸条約」に基づき桜島丸(ユニオン号)を使っていた亀山社中だったが、薩長同盟後すぐに、長州藩海軍局との間に見解の相違が出て、その帰属について双方で激しい応酬があった。これがなかなか解決しないので、竜馬が出向いたということだったようだ。竜馬と海援隊(亀山社中)は、持ち船や借り受けている船に関しては、嵐で無くしたり、ついていないことが多かった。