【今日の竜馬】江戸の第一の親友

■竜馬の江戸行きは、剣術修行だったのだが、そこで生涯の友人を得ることになる。その友人とは?

 それは北辰一刀流・玄武館千葉重太郎(1824年?〜1885年)だ。千葉周作実弟千葉定吉の長男として生まれている(生年は定かでない)。小さいころから、北辰一刀流を父・定吉から学んでいる。竜馬とは竜馬の江戸へ剣術修行のためやって来た嘉永六年に知り合いっている。竜馬はそれ以後、千葉家一門と親しく交流をかさねることになる。
 万延元(1860)年、重太郎は鳥取に召し抱えられ、文久2(1862)年、周旋方に就任。同年、勝海舟の開国論に反発して、松平春嶽(前福井藩主)の紹介状を持って竜馬とともに勝邸を訪ね、機を見て斬ろうとしたが、竜馬が海舟に心服してしまい計画を断念する話しはあまりに有名(実際は話しを訊きに行っただけだとする説もある)。
 周旋方という役目がらか重太郎の周旋で多くの鳥取藩士勝海舟や竜馬のもと、藩士神戸海軍操練所へ入門させている。竜馬が土佐藩から七日間の謹慎を命じられたとき、その内状を知らない重太郎は武市半平太らの虚言によるものと考え、竜馬の身を案じ、福井藩にその救命を嘆願するなど厚い友情を示している。
 竜馬没後。戊辰戦争では鳥取藩歩兵頭として出陣、明治2(1869)年には剣術教授頭取に就任、明治4(1871)年に家督を継いで、鳥取県官吏として出仕、開拓使権大主典として、伊達邦成(もと岩出山伊達家当主)とともに北海道開拓に活躍した。その後は京都府の官僚となり、明治18(1885)年に没した。享年62歳。

 重太郎は小説などでは、竜馬の江戸の剣術修行時代にしか登場しない人物であるが、じつはそれ以後も竜馬を助けていたことがわかる。また竜馬没後もさまざまに活躍していたんだねぇ〜!

(写真は東京都千代田区神田東松下町玄武館の碑※写真は削除しました)