【今日の竜馬】慎太郎を看取った男

竜馬と中岡慎太郎が刺客に襲われた夜、近江屋に駆けつけて、息のある慎太郎からの証言を得たのがこのだ。

 それは土佐藩田中顕助(1843年〜1939年、別名は浜田辰弥・田中光顕)だ。土佐藩家老深尾家の家臣浜田充実の子として生まれている。那須信吾の甥にあたる。武市半平太に師事し、土佐勤王党に参加。 
 文久三年の8月18日の政変後、藩から謹慎の処分をうけ翌年、片岡源馬・橋本鉄猪・井原応助・池大六らと脱藩して、長州藩士の高杉晋作と出会い長州に身を寄せた。その後、大利鼎吉らと大坂城焼き討ちを計画したものの、これが新撰組に露見。俗にいう「ぜんざい屋事件」である。十津川村に難の逃れた田中は龍馬と慎太郎と合流する。以後、薩長同盟を目指す中岡を補佐している。
 四境戦争では丙寅丸に機関士として乗り込み海援隊ユニオン号幕府軍を相手に戦っている。慶応3年中岡が陸援隊を結成すると副長として加わわっている。同年11月15日夜竜馬と慎太郎が刺客に襲撃されると谷守部と共にその証言を聞いている。今残っている同夜の記録はこの証言を元にしている。
 慎太郎没後、陸援隊を統率し、高野山に挙兵。錦の御旗を下賜された。
 維新後は岩倉使節団随行し、陸軍少将、元老院議官、警視総監、宮内大臣などを歴任。また志士達の顕彰にも尽力。一説には太后の夢事件仕掛人ともいわれる。昭和14年没。享年96歳。

 少し過激な人であったらしいが、それだけに昭和まで生きたというのは奇跡に近い。運がいい人であることはたしかだろう。