【今日の竜馬は?】海援隊士、明光丸へ切り込む!?

●竜馬31歳・慶応元年(1865年)4月25日●

・『勝塾から残留していた同志たちと共に大坂を出立する』

●竜馬33歳・慶応三年(1867年)4月25日●

・『佐柳高次腰越次郎海援隊士、海援隊離隊を願い出て、明光丸に斬り込もうとするも竜馬に諭され思いとどまる』

慶応元年の3月に神戸海軍操練所勝海舟の失脚によって廃止になってしまい、この日、勝塾も解散、途方にくれていた竜馬だった。
 慶応三年の今日は、昨日衝突されたいろは丸の事故処理中。乗船していた海援隊士は、埒の明かない明光丸側の態度に憤慨していて、先のふたりの隊士がいきり立った。竜馬はあくまで冷静に対処しようとしていたので、ふたりを諭した。もっともここで斬りあいにでもなると、補償金が受け取れないという考えもあったものと思われる。

(写真は談判の場所となった魚屋万蔵邸※写真は削除しました)