【今日の竜馬は?】いろは丸沈没事件の談判中!

●竜馬33歳・慶応三年(1867年)4月24日●

・『鞆港へ上陸、廻船問屋枡屋清左衛門方へ入り、魚屋万蔵明光丸船将高柳楠之助らと事故責任をめぐる談判を24日・25日・26日と行う』

 いろは丸事件の処理のために、鞆で竜馬は相手方の明光丸の船長である高柳楠之助らと談判をしている。竜馬の行動は早かった。次のようなことをすぐに行っている。
・航海日誌や談判記録を確保。
海援隊士に「一戦交える覚悟を」と檄をとばす。
寺田屋へ「ちょっと忙しくなるが心配するな」と手紙を出す。
・下関の伊藤助太夫へ「家には誰も近づけないよう見張りをよろしく」と手紙(お龍が『自然堂』に居た!?)。
・京都の出版元へ『万国公法』の印刷を依頼する。
 当初、紀州藩は「大藩」ということで笠に着て威張っていたが、竜馬たちの言い分が当然なので、タジタジとなり、船長は病気だと言って逃げ回っていた。という記録が残っている。

 竜馬は『万国公法』を談判の道具に使うことをすでに考えていた。そのために印刷を依頼したのだ。いざというときに力を発揮するのが竜馬。頼もしい感じがする。男として見習いたいものだ!(笑)