ちょっと疎ましい!?竜馬の親戚だった海援隊士

海援隊士の中には、竜馬の血筋に近い人物も多い。この男もそのうちのひとり。

 それが坂本清次郎(1842年〜没年不祥、別名・鎌田清次郎・三好賜・三好清明)だ。
清次郎は、土佐藩陪臣鎌田常吉の二男。坂本権平の娘(つまり竜馬の姪)春猪の夫。竜馬が権平の養子にならなかったために坂本家の養子となった。春猪との間には二人の女子をもうけたが慶応三年5月頃、野村辰太郎と脱藩し、竜馬を頼り、海援隊に参加した。
 このため、竜馬は坂本家に迷惑がかからないように、土佐に帰国するように諭したり、後藤象二郎に相談したりしている。
 また乙女姉さんには「何も、をもわくのなき人(志のない人)」と評した手紙を送ったりしている。つまり竜馬の評価はよくない。
 明治維新後は、帰郷したが、脱藩の罪を問われ禁足。赦免後、実家の兄が病死していたことから坂本家を離退し、鎌田家を継いだ。その後自由民権運動に参加し坂本直寛宅に同居、中立社高陽新報仮編集長となり、高知県三大事件建白代表の一人となっている。
 明治二十三年に高知を離れ、広島市へ移住。その地で没した。

 海援隊士としてはあまりにも短い経歴しかない。だが、この清次郎のように竜馬に頼ることからも、竜馬の活躍は当時でもかなり有名だったことがうかがえる。
(写真は清次郎の妻の春猪)