スパイ!?豪胆な海援隊士

それが橋本久太夫(生没年不詳)だ。
 越後の出身とも讃岐塩飽諸島の出身とも伝わる海援隊士だ。渡辺剛八と同様に亀山社中が設立されると、比較的早くから参加していたらしい。この氏名が記録上、確認出来るのは「慶応二年七月二十八日付け坂本龍馬の三吉慎蔵宛書簡」が初出である。元々が操船術の専門家で、元は幕府所有の洋式船「翔鶴丸」の乗組員だったが、翔鶴丸で将軍家茂が海路上洛した時に、同乗していた勝海舟や竜馬と面識を得、その後同郷の白峰駿馬や上司の海舟、竜馬らの影響を受け、やがて幕府の支配下から脱し亀山社中に参加した。このあたりのことを楢崎龍(お龍)の伝えるところによると、かなりの大酒呑だったらしく酒場でおこしたケンカが元で幕府艦から脱走、社中・海援隊に参加したとも。
 橋本は航海術に長け、大波にあおられる船上においても平然と部下たちに指事号令を下し、竜馬からも「橋本の仕事は実に潔い」と評価している。慶応二年にはユニオン号の水夫長をつとめたが、竹中与三郎(既出)らに買収され、竜馬に関する情報を幕府に流してしまうなどスパイのような行動もみせている。
 その後、社中・海援隊から離隊することも、させられることもなく在籍し、いろは丸には運用方として、横笛丸には士官として乗り組み活躍した。
 維新後の消息は詳らかでないがお龍と東京高輪で偶然出会い、よくその面倒をみたという。

 橋本は氏素性のわからない海援隊士だが、竜馬からは愛され、信頼されていたようだ。スパイ事件後も海援隊に残ることができたのも竜馬が口ぞえしたに違いない。またその航海術に秀でていたのもその理由かもしれない。さらにその性格も男気があったようだ。少し気になる海援隊士ではある。
(写真は同期の海援隊渡辺剛八)