竜馬から?亀?と呼ばれた男!

それが土佐藩士の望月亀弥太(1838年〜1864年)だ。

 土佐藩新白札格望月団右衛門の二男として生まれている。
 竜馬と親交のあった望月清平は兄なので、若いころから竜馬とは知り合っているようだ。文久年間、土佐勤王党へ加盟し、文久二年に山内容堂の護衛のため五十人組の一人として土佐を出ている。
 翌年、竜馬の紹介で勝海舟の勝塾や海軍操練所に入り、藩命で航海術修行をし、摂海の測量や航海術も修行している。
 元治元年、竜馬らの蝦夷地開拓計画に参加し、源義経の紋がはいった幔幕を用意、渡航のさい地元民との融和をはかろうと計画までしている。
 しかし池田屋尊攘派志士たちとの会合に出席しているところを新選組に襲われ負傷、池田屋を脱出後、二条角倉邸付近にて自刃している。

 竜馬からは「」と愛称で呼ばれていたぐらいに、可愛がられたようだ。竜馬は、乙女姉さんやいとこのおやべ宛の書簡にも「去年六月、望月らが死し時、同志の者八人ばかりも皆、望月がごとく戦死したりし。……」と彼の死を惜しんだ。

 NHK大河ドラマでは、薩摩藩邸に助けを求めたことになっていたが、その事実は判然としない。たぶん創作では!?