【今日の竜馬は?】竜馬、薩摩藩から給金を貰う
●竜馬31歳・慶應元年(1865年10月3日)●
・『小田村素太郎と一緒にに三田尻より宮市をへて山口に入る』
竜馬はこの時期、船で関西より長州へ。
小田村は長州藩士。三田尻は現在の山
口県防府市で、攘夷派の各地の浪士たち
は海路を取る場合は自然の良港であった
三田尻を経由して山口や萩へ行った。
・『薩摩藩の状況を伝える手紙を池内蔵太にあてに送る』
池は亀山社中に参加した土佐藩士。竜
馬と池は幼馴染みで、実家も近かった。
池は翌年、社中で操船していたワイルウェ
フ号が難破して船と運命を共にしている。
●竜馬32歳・慶應二年(1866年10月3日)●
・『社中、薩摩藩から給金を受け取る』
竜馬ら社中の7人は、薩摩藩から三両二分を
受け取っている。この時期は、社中の営業だけ
ではまだ運営できずに、薩摩藩の庇護を受け
ている。
●竜馬33歳・慶応三年(1867年10月3日)●
・『高松太郎に出帆延期を伝えた手紙を送る』
竜馬は船で帰郷中。時化のために船が破損、
出航できずにいた。高は海援隊士で竜馬の死後、
家督を継いでいる。
・『大政奉還建白書が幕府へ提出される』
土佐藩主・山内容堂の名前で建白書が出さ
れ、後にこれを幕府は受けることになる。大政
奉還は竜馬の提案を土佐藩の後藤象二郎が
受け入れて成功させた。
慶應年間の今日の竜馬はいろいろと忙しい日であったようだ(笑)。