談判の間は一階だった!?

(中国新聞10月5日)によると、いろは丸事件で使われた福山市鞆町の「坂本竜馬ゆかりの家(旧魚屋萬蔵宅)」で、談判に使われた部屋の検証が行われたそうだ。

 検証したのは、広島大文学部の三浦正幸教授文化財学)で、三浦教授によると、「江戸後期から昭和30年代に増改築が繰り返され、非常に複雑な構造」と指摘。柱を継ぎ足した跡から、竜馬率いる海援隊紀州藩の船の衝突事故の賠償交渉に使われた1867年当時、2階に部屋はなく「談判の間は1階8畳間だった」としている。
 
 これまで、写真などでこの家を見て談判の間は2階としていたが、その説を完全に覆している。しかし、一度、鞆へは行ってみたい!