【今月の竜馬は!?】12月末から1月頭までの竜馬の動き

●竜馬32歳・慶應二年(1866年12月25日)●
・『国島六左衛門いろは丸購入の責任をとって自刃し、その遺体と対面する』
 国島は伊予大洲藩士で、いろは丸を竜馬や
薩摩藩士の五代才助の周旋で購入したが、
藩に承諾を得ずに購入したために責任を取り
自刃した。この後、紀州藩の明光丸とこの
いろは丸は衝突事件を起こす。ちなみにこの
「いろは丸」の名前は竜馬が命名した。

●竜馬28歳・文久二年(1862年12月29日)●
・『千葉重太郎と共に兵庫勝海舟を訪ねる』
 近藤長次郎も同行したといわれている。

●竜馬31歳・慶應元年(1865年12月29日)●
・『印藤聿に近況を伝え、上京の同伴者を求めた手紙を送る』

●竜馬28歳・文久三年(1863年1月1日)●
・『千葉重太郎近藤長次郎らと大坂へ』

●竜馬32歳・慶應二年(1866年1月1日)●
・『印藤聿紹介により福永専助宅で三吉慎蔵と出会う』
 三吉は長府藩士で、竜馬の身辺警護を
した人物。剣の達人だったらしい。

●竜馬32歳・慶応二年(1866年1月2日)●
・『三吉慎蔵と懇意になる
 竜馬は5日まで逗留している。

●竜馬33歳・慶応三年(1867年1月3日)●
・『久保松太郎にあて宿舎手配の礼状を書く』
 久保は長州藩士で、安政3年〜明治4年
までの日記
を記していた人物。幕末の貴重
な資料となっている。
・『桂小五郎に年始の挨拶と伊藤九三方に宿泊していることを手紙で伝える』

●竜馬33歳・慶応三年(1867年1月5日)●
・『夜分に中岡慎太郎を訪ね、翌朝まで話し合う』

●竜馬33歳・慶応三年(1867年1月6日)●
・『伊藤九三・森玄道らに使いを出し、中岡慎太郎から得た京都の情勢を伝え、それを三吉慎蔵に報告してくれるように依頼状を送る』

●竜馬33歳・慶応三年(1867年1月9日)●
・『下関から長崎へ』
 11日に長崎へ到着している。

 明日より1月中ごろまで休暇を取ります。まとめて掲載しました。よいお年を。m(_ _)m