あの「いろは丸」を作ってみる!?

我が町の夕暮れ

 竜馬の最期のアクシデントのひとつというと「いろは丸」事件がある。事件は、1867(慶応3年)年4月23日夜、海援隊のいろは丸と、紀州藩の軍艦・明光丸鞆の浦沖の六島付近で衝突したというもの。いろは丸は鞆港へ曳航される途中に宇治島沖で沈没してしまった。
 竜馬は万国公法を盾に、紀州藩と談判、過失のほとんどが明光丸側にあることを認めさせて、多額の賠償金を得る約束まではこぎ着けている(実際は、竜馬は惨殺によって賠償金を手にすることはできなかった)。
 そうした背景もあって、広島県福山市鞆の浦では、いろは丸の引き上げや談判をしたといわれる民家の保存、そして鞆の浦港では同名の観光用の渡船を来年周航させるなどの観光活動をしている。

(中国新聞)によると、そんな状況の中で、同市の観光課では「いろは丸」のペーパークラフトを制作。
 いろは丸のペーパークラフトは、実物の100分の1に当たる全長約22センチ。マストや甲板、煙突など9つのパーツに分かれA4判の紙にカラー印刷されている。はさみやナイフなどで切り離した後、のり付けしたり、切り込み部分に差し込んだりして組み立てる。1時間程度で完成する。
 観光イベントやキャンペーンなどで配布するそうだ。


【コレもちょっと欲しい!(笑。鞆の浦は個人的には一度行きたいところ。かなり昔から竜馬との関係が深いことをアピールしている地元の努力には頭が下がる。そういえば、港をまたぐ橋が造られるというニュースがあったときに同時に反対運動が起こったというのも、過去の遺産を大事にする市民性があるのだろうと思う。】