念願の「竜馬旅」…!?

いろは丸展示館

 もう1ヶ月以上も前の話で恐縮なのだが、引っ越しの移動途中で広島県福山市鞆の浦へ寄ってきた。ココでもこの地は何度か登場しているのだが、鞆の浦といえば、竜馬が海難事件にあって談判したといわれる場所で観光地でもある。一度は行ってみたかった地だったので、ようやく念願かなったというところだ。

 通称・いろは丸沈没事件のおさらい---1867年5月、竜馬は大洲藩籍のいろは丸に大坂に物資(鉄砲)を運ぶために長崎を出航。23日(26日)、紀州藩船明光丸と衝突し積荷もろとも沈没した。
 この衝突の場所が鞆の浦沖ということで、竜馬は鞆の浦に滞在して、「万国公法」を使い紀州藩と談判する予定だったが、ここではそのまま逃げられてしまい、その後長崎で談判となり、8万3526両198文紀州藩から賠償金を受け取る(竜馬は暗殺のため結局その賠償金を手にすることはなかった)。

 で、鞆の浦へはクルマで行ったのだが、ちょうどドラマの「竜馬伝」も始まっていたのと、日曜日ということもあって狭い漁師町は混雑していた。一度は街中の駐車場を探したのだが、まったく空いていないので、かなり手前の仮の駐車場に駐めるはめに。町の運営のようで、一日500円、街の中心へは送迎バス(無料)があるので、それを利用した。
 まず行ったのは、鞆城跡の鞆の浦歴史民族資料館一望に鞆の浦の港が見渡せる場所にあり、竜馬関連の資料などもあるのかと思ったのだが、そんな資料はなく、まさに民族資料館そのものであった(笑。
 次に探したのが、いろは丸展示館で、資料館からゆっくり西に歩いて20分程度の場所にある。港に突き出ている常夜燈が目印で、その手前数軒前にある。昔の土蔵を改築したような建物だ。沈没したいろは丸の調査をしたときの海底のいろは丸のジオラマが原寸大(!?)で展示されてあるのが目玉だろう。2階には竜馬の隠れ部屋(!?)も再現されてある。資料は思ったよりも少なく、拍子抜けするかもしれないが、一度は見ておいてソンはないとは思う。
 あとは、坂本龍馬宿泊跡、太田家住宅(鞆七卿落遺跡)、など一通りにチェックした(笑。急ぎ足ということもあったので、じっくり隅々までというわけには行かなかったのだが、それなりに満足して鞆の浦を後にした。


鞆の浦は、古い建物も残っていて観光地としては魅力があると思う。撮影好き、古い街好きにはたまらないかも(笑。竜馬好きとしては、かなり疑問符があるのだが、とりあえずのゆかりの地として押さえておいてソンはないとは思うが、必ず訪れる必要はなさそう(笑。そういえば、再現されたいろは丸の観光船も港から出ている(乗船はしなかったけど・笑)。そういえば、この地は平賀源内ゆかりの地だったり、宮崎駿さんが「崖の上のポニョ」の構想を練ったのもこの地だったそう。】
(※写真もそれなりに撮影したので、そのうちにいくつかアップする予定です。)