「大政奉還へ決死の手紙発見」の顛末…

いろは丸事件談判の地の碑

 竜馬の大きな功績のひとつは大政奉還」の実現にひと役買ったことだと思う。そのときの心情についての手紙の原本が従来、行方不明だったのだが、最近「見つかった」というニュースがあり、じつは密かに(笑、楽しみにしていた。
 その報道は「大政奉還の直前、坂本龍馬土佐藩重臣後藤象二郎に送った手紙の龍馬直筆の草案が、大阪市内のいの町の民家で見つかり、県立坂本龍馬記念館が15日から確認作業に入った」(読売新聞高知版)というもの。
 たしか、竜馬と大政奉還の概要は、竜馬の草案の手紙を後藤へ送り、藩主であった容堂公が幕府へ進言することから始まったといわれている。 
 手紙は縦20センチ・横78センチで、大政奉還前日の慶応3年(1867)10月13日付。内容は--大政奉還に失敗し「天下の大機会」を逃せば、薩長から責めを負わされる--と、緊迫した情勢を綴りながら、「もし失敗したら、私も海援隊を率いて将軍を襲う覚悟。墓の下でお目にかかりましょう」と決死の覚悟を伝えている。
 結果として、この手紙は精巧な写真(!?)複製だったのを18日に同記念館が発表した(読売新聞高知版)。


【結局は、この発見された手紙は複製だったのだが、記事では、原本は後藤象二郎の娘から海援隊員だった人物の長男に伝わり、その海援隊員の子孫が「原本はすでに手放した」と説明する1972年の手紙が添えられていたので、どこかに存在する可能性もあるとしている。時代が動いた手紙でもあるので、ひとめ原本を見てみたいもの。それにしても竜馬の当時の心情が分かる直筆の手紙で、後藤もその気持ちに動かされたのだろう。やっぱりEメールでは伝わらないかも……(笑)。(2ヶ月あまり更新ができずに申し訳ないですm(__)m)】
(※画像は広島県鞆の浦、いろは丸事件談判の地の碑で、現在は食事処になっている)