【今日の竜馬】竜馬は勝海舟を切りに行ったか!?

竜馬がゆく』など小説の中では、竜馬と千葉重太郎開国論者であった勝海舟を切りに行き、話しを聞くうちに感銘を受けて竜馬は弟子入りしてしまうというシーンがあるが、ほんとうに竜馬は勝を切りに行ったのだろうか?

 結論的には、切りに行ったのではなく、話しを聞きに行っただけ。 というのは、竜馬はたしかに19歳ごろ、江戸に剣術修行に出てきて、黒船を見たりしていたころは攘夷だった。それは龍馬が父八平に次のような手紙を書き送ったことでもわかる。その時期は、土佐藩が品川近辺の警備をしたころ、龍馬も藩の動員令に従って現地に赴いた。それから3ヶ月後のこと。
『異国船所々に来り候由に候へば、軍(いくさ)も近き内と存じ奉り候。其節は異国の首を打取り、帰国仕るべく候』
 ようするにバリバリの攘夷派だった。このころに勝に会っていたら切りに行ったというのはたしかだろう。実際に竜馬が勝に会いに行ったのは、文久2年(1862年)の10月。竜馬が26歳。じつはこの2ヶ月前に松平慶永(春嶽)に拝謁し勝海舟横井小楠への紹介状をもらっている。松平慶永は開国論者。慶永が攘夷派の竜馬に紹介状を書くはずもないので、このころ竜馬は開国派になっていたか、もしくは開国論に傾いていたのはたしか。
 晩年、勝海舟が「竜馬は俺を斬りに来たが、話をしたらわかってくれたよ」と語ったのは、勝特有のホラか勘違いというところだろう。

 小説としては、前半の盛り上がりのひとつのエピソードとして勝海舟との出会いのシーンだが、真実はこんなところ(笑)。
(写真は勝海舟。なかなかハンサムだよね)