【今日の竜馬】?世界の海援隊構想?はなかった!?

維新前夜、竜馬は西郷隆盛に新政府の構想を見せたところ、竜馬の名前は名簿になかった。西郷は「貴殿の名前が見当たらぬが」と問うと、竜馬は「役人になるは嫌だ」と答える。「ではなにを」と西郷がさらに問うと「世界の海援隊をやりますか」と答えた……と、暗殺前のい〜い場面だが、これは逸話のひとつのようだ。

 実際の竜馬は、近江屋尾崎三良とともに、関白一名、議奏若干名、参議若干名からなる職制案をまとめた。これが「新官制擬定書」。『尾崎三良手扣』に記される新官制擬定書の参議の項には、竜馬の名前がみられるのだ。

一、参議 若干名
 公卿、諸侯、大夫、士庶人をもってこれに充つ。大政に参与し、かねて諸官の次官を分掌す
 (暗に西郷隆盛(薩摩)、小松帯刀(薩摩)、大久保一蔵(利通・薩摩)、桂小五郎(長州)、広沢兵助(長州)、 後藤象二郎(土佐)、横井平四郎(小楠・肥後)、坂本竜馬(土佐)三岡八郎(越前)長岡良之助(越前)などをもってこれに擬す)

 ただ、お龍の回顧録である『千里駒後日譚』には、龍馬が「一戦争済めば山中へ這入って安楽に暮らすつもり、役人になるのはおれはイヤじゃ」と云っている。
 また、『反魂香』には「天下鎮静して、王政復古の暁には、汽船を一隻造えて日本の沿岸を廻ってみようか」という龍馬に、お龍「日本はおろか、外国の隅々まで残らず廻ってみとうございます」と語ったという。
 つまり、竜馬は、いずれは役人をやめて野に下って船で各地に行きたいと思っていたことは確かなようだ。
(画像は、いろは丸。※写真は削除しました)