【今日の竜馬】竜馬はナニで食べていた!?

竜馬は国のために東奔西走していたわけだが、どうやって稼いで、生計や旅費捻出していたのだろうか?
 
 まず、剣術修行の時は兄・権平に出してもらっていた。当時は、長男がその家を継ぐので、竜馬の兄・権平が、坂本家の家計をにぎっていた。つまり父や兄に竜馬は養われていたわけだ。その当時は、次男や三男は、自立するために剣道などを教える道場を開いて独立する、自分の習得した技術で身を立てるなどが多かったので、竜馬も剣術修行に出たというわけ。
 勝海舟の門下生時代は、その仕事で収入が得られていた(つまり勝が出したり周旋していたのだろう)。
 亀山社中になってから(慶応元年1865〜)は、薩摩藩から3両2分(現在のお金で17万5千円ぐらい)を給料として貰っていたようだ。

 当時の脱藩した志士たちは、スポンサーを探して暮らしていたのが実情だったよう。スポンサーは他藩のほか、商人、あるいはヒモのような生活をしていた志士(!?)もいたらしい。竜馬の場合は、その点、うまくいったほうだ(笑)。

(写真は、竜馬の兄の坂本権平。竜馬とは21歳も違うので兄というよりはお父さん感覚だったかもしれない)