【今日の竜馬】空白の5日間!?竜馬脱藩ルート

文久2(1861)年3月24日夜、竜馬28歳のとき道案内の澤村惣之丞をお供に土佐を脱藩する。竜馬の志士としての本当の活躍はそこからスタートしたといっても過言ではないだろう。じつはその詳しいルートは最近までよくわかっていなかった。記録にはない空白の5日間があったのだ。

 昭和63年11月に“空白の5日間”脱藩ルートが古文書「覚 関雄之助口供之事」により解明された。これまで梼原を越えて山口県下関市に至るまで、その途中の愛媛県内の足跡が確定できず諸説あったのだ。

 その確定したルートは(高知)−野村−河辺−五十崎−長浜−(下関)というルート。
 竜馬は宮野々関を破ったあと、大野ケ原韮ケ峠(野村・梼原の県境)−小屋村(野村)−榎ケ峠(野村・河辺の境)横通(河辺)−封事ケ峠(同)−三杯谷(同)−日除(同)−水ケ峠(同)−泉ケ峠(河辺・五十崎の境)−北表(五十崎)−宿間(同)を通過。さらに宿間から船で肱川を下り、金兵衛邸(長浜)に着いたあと、海路三田尻山口県防府市)に渡り、陸路で下関入りした。

 一度、このルートで歩いてみたいと思っている。なお、毎年、関連する市町村や旅行代理店がイベントやツアーを組んでいるので、行きたいという人はWeb上で要チェックだ。春か秋が多いようだ。