【今日の竜馬】竜馬と船

■竜馬の船好きは海援隊をつくった理由のひとつに船の操縦を修得するという項目があったことでもわかる。竜馬は何隻の船と関わっていたのだろうか?

 主なもので4隻の船と関わっていた。
ユニオン号 池内蔵太らを乗せ沈没した船
ワイルウェフ号 竜馬ら海援隊が第二長州征伐にも行った船
夕顔丸 船中八策後藤象二郎に示した船
いろは丸 紀州藩船・明光丸と衝突した船

ユニオン号/木製蒸気船。長さ約25間、300トン。建 造はイギリス・ロッテルヒーテ造船所。慶応元年10月18日近藤長次郎の斡旋により薩摩藩名義で購入した。金額は50,000両でイギリス商人のグラバーより購入。

ワイルウェフ号/二本マストのスクーナー型帆船。
プロシアでつくられ、慶応2年4月薩摩藩が購入。6,300両でグラバーより購入。

夕顔丸/蒸気内車型の鉄船。長さ36間、幅4間3尺、水深2間4尺、150馬力、659トン。1863年建造され、原名・シュリン号。慶応3年2月29日土佐藩が購入した。155,000ドルの価格でオールト(イギリス商人)から購入。

いろは丸/二本マストの鉄製内輪船。長さ30間、幅3間、深さ2間、160トン、45馬力。1862年イギリスで建造され、原名・サラー号。文久3年薩摩藩が購入。その後オランダ商人ボードインへ売却。慶応2年大洲藩・国島六左衛門が竜馬らの斡旋で購入。金額は42,500両(大洲藩購入時)。

 竜馬だけにいろいろと事件があった船ばかり。しかし、当時の汽船は今のクルマ並みの馬力しかなかったんだねぇ〜!? で、それぞれの船にまつわる話はまた次の機会に(笑)。
(写真は、高知の県立坂本竜馬記念館にあるワイルウェフ号の舵取り棒の複製。本物は長崎県南松浦郡有川町江ノ浜の民宿「潮騒」で保管されているらしい。※写真は削除しました)