【今日の竜馬】竜馬が食べ損なった軍鶏鍋!?

■慶応3年11月15日の夕刻、中岡慎太郎と話し込んでいた竜馬がそばにいた峰吉に「軍鶏鍋でも食おうか、買うてきーや」といい使いに出す。ところが、その直後、竜馬と中岡と藤吉しかいなくなった近江屋の2階に刺客が上がり3人とも斬殺されてしまう。軍鶏を買いにいった峰吉が戻った時には竜馬は息絶えていた。いつもの店に軍鶏が無くて、遠い店まで買いに行ったという……。ということで、竜馬の食べ損なった軍鶏鍋とはどんなものだったのだろうか?

 軍鶏鍋は、高知県内では、竜馬生誕の地の高知市よりむしろ東部、特に中岡慎太郎の出身地である北川村の名物として名高いのだそうだ。 土鍋ではなく、鉄鍋ですき焼き風に作る。はじめにこんにゃくを鍋にしき、野菜(タマネギ、ネギなど)を加え、しょうゆと砂糖で味をつけ、こんにゃくと野菜から出る水で軍鶏肉を煮る。水分が少なくなったときは、水ではなく、酒を加えるのがコツだとか。軍鶏鍋で有名な「玉ひで」(東京)では、すき焼き風に割り下を使い、溶き卵をつけて食べるらしい。……などちょっと調べたのだが、結局、竜馬が暗殺前にどんな軍鶏鍋を食べようとしていたのかよくわらからなかった。土佐風だったのか、京都風だったのか?はたまた江戸風(これはないわな!)だったのか〜
 だが、峯吉が軍鶏肉を買いに行ったお店が京都の鳥新というお店だったらしい。そこは木屋町四条の角あたり、高瀬川にかかる四条小橋のたもとにあって、鶏肉などを販売していた。現在では、このお店は場所を変えて鶏肉(鴨肉)の料理店をやっている。残念ながらメニューには軍鶏鍋はないようだが、水だき、すき焼き(鶏肉)などでその一端か味わえるかもしれない(高そうなお店だけどね・笑)。

 竜馬は中岡の来訪をもてなすためと風邪ぎみの自分のために、温まる軍鶏鍋を思いついたのだろう。あの暗殺の日、もし1時間だけ時間をずらせるなら、最後の晩餐を味わってもらいたかったと思う……。