【今日の竜馬】暗殺犯!?今井信郎のその後…
■今井信郎は京都見回組に属し、坂本竜馬暗殺にかかわったと自供している。今ではこの今井の自供で、実行犯は見回組とされているのが定説だ。その今井とは?
今井信郎は、直心影流・榊原鍵吉の門弟で講武所の師範代をつとめ、剣の達人であったといわれている。明治5年(1872年)、今井を取り調べた刑部省は、竜馬が以前に伏見・寺田屋で短銃を使用し幕吏を殺傷したとし、今井を無罪放免し、その身柄を旧徳川将軍家の領地となっていた静岡県に引き渡した。
牧ノ原の小豆沢に移り住んだ今井は、竜馬暗殺の報復を極度に恐れ屋敷の周りに深い穴を掘り、イザという時には大井川の河原に脱出できるようにしていた。訪問客にも戸陰から確認しなければ戸を開けなかったらしい。また外出の折りは決まって仕込み杖を携行した。彼は大正7年(1918年)78歳で没するまで、静岡県の初倉村に暮らした。
今井が熱心なクリスチャンになったのも、心休まらぬ日々に疲れたからかも知れない。
ところで、定説となっている実行犯たちの行動の全貌は次のとおり。
佐々木推三郎をリーダーとして、刺客は渡辺吉太郎、桂準之助、高橋安次郎(鳥羽伏見の戦いで
戦死)の3人、見張り役の桜井大二郎(鳥羽伏見の戦いで戦死)、土肥仲蔵も自刃している。そして今井信郎の計7人。今井らは台所あたりで見張りをしていたらしい。実際に竜馬に切りつけたのは、小太刀の名手であった桂準之助らしい。脇差(銘越後守包貞)で正面から、横一文字になぎり、二太刀目を背後から袈裟懸けに切り、三太刀目は頭上へ刀身を左手で押し込みながら斬った、という。
ただし、真実かどうかは今も謎だ。