【今日の竜馬】竜馬と一緒に夢をみた男

■竜馬は維新を迎えたら、海援隊や諸国の浪士たちで北海道の開拓をしようと考えていた。その夢を一緒に夢見た男がいた。

 その男というのは、北添佶磨(1835〜1864年、別名:北添源五郎、変名:本山七郎)で、土佐藩庄屋北添与五郎の五男。学問を土佐で間崎哲馬、江戸で大橋訥庵に学び土佐勤王党に参画している。
 文久三年に同志安岡斧太郎・能勢達太郎・小松小太郎らと共に脱藩して蝦夷地の調査へ向かう。この調査が竜馬の依頼によるものだとも言われている。ともあれ、北添は蝦夷地調査の結果を竜馬に報告した。これ以後、竜馬は蝦夷地開拓の構想を「積年の思い」とするようになる。よほどよいところだと報告したに違いない。
 その後京都に入った北添の身を案じた竜馬は、すみやかな退京を説いたものの北添は忠告に耳を貸さず、池田屋事件が起こった。北添は潜伏先の方広寺付近を襲撃され、武器や手回り品を残しながらも脱出。だが、同志の安否を気遣い池田屋付近に姿を現したところ、周辺の残党狩りにあい殺害された(ついてない人だねぇ〜)。

 北添が池田屋に集合していなかったのは北添が、竜馬と共に蝦夷地開拓の構想を持ち続けていたからだと思う。無念だっただろうねぇ〜。竜馬の子孫たちが北海道に移住したのもその遺志を継いだものだったに違いない。