【今日の竜馬】竜馬の最期のサポーター!?

■峰吉と同じように、竜馬たちのシンパだったのが京都の商人たち。最期はこの人がサポートしていた。

 その商人が近江屋新助1838年〜1910年)別名は近江屋猶次郎や井口新助。新助は京都河原町醤油屋を営む近江屋新助の子としてに生まれた。、安政六年に家業を継ぎ二代目「近江屋新助」となった。まもなく土佐藩の御用達をつとめ、財を積むかたわら尊王派志士たちをサポートした。
 慶応三年、竜馬と出会い、自宅へとかくまっている。竜馬のために土蔵を改装し密室をつくり、いざという時には裏の称名寺に脱出できるような仕掛けも整えている。
 同年11月15日、竜馬と中岡慎太郎が刺客に襲撃されると見張のいなかった裏口から土佐藩邸に急を知らせている
 慶応四年、京都を舞台にした鳥羽伏見の戦いでは薩長といった尊王派の後援に尽力し、軍資金や食料の援助、傷病兵の看護なども引き受け、自ら武器弾薬を醤油樽に隠して志士たちを逃がしたりしている

 幕末は志士たちの活躍がクローズアップされがちだが、じつはこうした商人たちのサポートなしでは、維新は成功しなかっただろうといわれている。京都はとくにそんな商人たちが多かったらしい。革新派が今でも京都に多いのはそんな歴史があるからだ。