【今日の竜馬】幕末の志士たちを撮り続けた男

■竜馬の写真といえば、いちばん有名な写真が右手を懐に入れた立像だ。その写真を撮影したのが、上野彦馬

 上野彦馬1838年〜1904年)は天保9年長崎・銀屋長で上野俊之丞の二男として生まれた。嘉永六年、16歳で豊後国日田の儒学者広瀬淡窓のもとへ入門している。この私塾・咸宜園は名門で、高野長英大村益次郎らが入門している。
 安政3年、長崎へと帰郷し、オランダ通詞名村八衛門からオランダ語を、オランダ人・ポンぺから舎密学(化学)を学ぶ。また伊勢藤堂藩の江鍬次郎と共にロシア人写真家・ロシエについて湿板写真術を研究し、成功させている。弱冠20歳のときだ。
 湿板写真は、ガラス板に薬品(感光液)を塗り、それが湿っている間に撮影・現像をする方法で露光時間は秒単位になり銀板写真に比べると、格段に便利になったが撮影した場で現像をしなければならず、専用のスタジオ以外での撮影は不便だった。しかも数種類の薬品の調製がたいへん難しかった。
 万延元年に津藩へ招かれ藩校有造館にて舎密学を教授した。のちに再び長崎へ戻り、我が国最古の化学書『舎密学必携』を文久2年に著述し、さらに日本初の写真館「上野撮影局」を開設した。慶応年間には竜馬など多くの志士たちが上野撮影局を訪れてポートレートを撮影している。たとえば、後藤象二郎(竜馬と同じ立台を使っている)・桂小五郎高杉晋作・伊藤俊助・勝海舟榎本武揚らの名が挙げられる。なお竜馬の有名な立像写真は上野の弟子で土佐藩出身の井上俊三による撮影だともいわれている。
 維新後、天体撮影や西南戦争の記録などに活躍し、明治7年には、金星観測でわが国最初の天体写真も撮影した。下岡蓮杖と並ぶ日本写真術の開祖と称されている。

 幕末活躍して散っていった志士たちを見続け、時代を記録していった功績は大きい。