【今日の竜馬】サムライになりたかった用心棒

■暗殺の夜、十津川藩郷士と名乗る3人の刺客が訪れる。そのときに対応したのが藤吉。二階の竜馬に名刺を渡そうとしたときに、背後から切られた。この夜の最初の犠牲者となったのだ。その藤吉とは?

 藤吉は、山田藤吉(1848年〜1867年別名:雲井龍)といい、近江国大津の農家の家に生まれている。幼少のころから腕力に優れ相撲取りとなる。醜名を「雲井龍」 (?龍?の字があるのはなにかの因縁だろうか!?)
いい、十両の関取りとなったものの根がやさしいために廃業した。
 京都の料亭武乃屋(先斗町の料理屋魚卯という説もあり)の出前持ちをやっていた。このとき竜馬の下宿先、材木商酢屋に出入りしていたため、長岡謙吉(菊屋峰吉↓という説もある)の紹介で龍馬のボディガード兼世話役をつとめるようになったという。侍に憧れ、剣術修行に精を出し、竜馬からその覚悟があるか聞かれると「それは心得ます」と答え、竜馬も熱心に働く藤吉に「山田」の苗字と大小を与えている。
 竜馬と中岡慎太郎暗殺の夜、刺客とは知らずに応対にあたり、六太刀ほど斬られ翌16日に没した。おそらく体も大きく、最期まで抵抗したために多く斬られたのだろう。享年19歳。

 なんとなく藤吉というと、朴とつした体の大きな若者というイメージがある。結局、サムライにはなれず、悲しい結末となった。合掌……
(写真は近江屋跡に建てられた竜馬と慎太郎の遭難の碑※写真は削除しました)