【今日の竜馬】竜馬が全国的に有名になったのは!?

■竜馬の活躍が全国的に知られるようになったのは、いつのことだろうか?

 その最初は、1883(明治16)年。高知出身の坂崎紫瀾が書いた『汗血千里の駒』が、高知の『土陽新聞』に掲載され、評判となる。これは、自由民権運動に参加していた坂崎が、薩長に牛耳られていた明治政府に、忘れられた土佐藩を再認識させる意味もあったようだ。
 それから、1890(明治23)年に勝海舟がまとめた『追賛一話』という著作なども広く読まれたようだ。いろいろな歴史上の偉人について、海舟が一言コメントしたもので、竜馬については、西郷隆盛を釣り鐘に例えた話を持ち出し、このような見事な例えができる竜馬もたいした人物だと書いている。さらに、「(坂本)氏の行った事業は既に世の中に広く知れ渡っているので、あえて褒め称えることはしない」と付け加えています。これによると、明治23年には竜馬は、すでに全国的にかなり有名だったようだ(勝のこの書物は高知県立竜馬記念館で見ることができる)。

 当時は口コミでも竜馬の活躍が広がっていたのかもしれない。
(写真は真偽不明の写真で、左が竜馬、右は丸亀藩士・原吉雄または中岡慎太郎ともいわれている。個人的には竜馬ではないような気がする)


坂崎紫瀾(1853年〜1913年)→