【今日の竜馬】薩摩の根アカな人斬り人!?

■それは?人斬り半次郎?と恐れられた示現流の達人だった男だった。

 その名は中村半次郎1838年〜1877年、別名は桐野信作、桐野利秋)だ。天保九年、微禄藩士の子として生まれている。家は兄弟が多く、藩校に通うこともできずに田畑を耕して生活の糧を得ていた。無学ではあったが明るい性格で、その事で笑われると「俺に字が読めたら天下を取れる」と平然と云い返したという。
 独学で示現流を極めのちに人斬り半次郎の異名を取る。雨戸から滴り落ちる雨水を地面につくまでの間に抜き打ちで三度両断することができたという。元治元年、西郷隆盛宅を訪れ、その人柄に惚れ込み狂信的信者となる。その際、手土産に自宅の畑で採れた薩摩芋を持参。それを見て笑った慎吾(西郷の弟)を西郷が叱り付けたと言うエピソードがある。
 心酔する西郷の護衛や密偵として活躍。長州に忍び込んで内状探索を行なったこともある。
 竜馬とは惨殺される5日前、散歩途中に出会った事がその日記に記され、葬儀がすんだ11月18日になってすぐ竜馬と中岡墓参りにも訪れている。
 戊辰戦争では東海道先鋒総督軍に所属、会津戦線でも軍監として活躍した。その後陸軍少将等を歴任した後、征韓論に敗れた西郷と共に帰郷し私学校設立にも参加する。
 西南戦争では当初西郷同様自重する様に生徒達を制していたが抑え切れずに挙兵。事実上の総督として奮戦するが田原坂で敗れ城山に篭る。そこで西郷の自刃を聞き覚悟を決め突撃、全身に銃弾を浴び壮絶な討ち死にをしている。享年39歳。

 イメージ的にはきっと笑いながら人を斬ったのではないかと思うが、竜馬や西郷など心服した人に対しては厚い気持ちで接したようだ。少し悲しい人ではある。