【今日の竜馬】竜馬と共に日本の将来考えた男

■先の時代をみていたのは竜馬だけではない。日本の近代化を夢見た男がいる。

 それは平野富二(1846年〜1892年、別名は矢次富次郎)。長崎出身で矢次豊三郎の二子として生まれている。3歳で父を亡くし、苦学ののち学者本木昌造に見い出され、汽船航海法などを学ぶ。
 慶応2年、幕府の回天丸へ乗り込み、四境戦争に参戦したが幕府の措置に憤り、長崎へ帰国したところ、慶応三年三月に竜馬のすすめで土佐藩船へ機関士として乗りくみ、機械操縦員の育成などにも尽力した。またイカルス号事件のときに竜馬と同宿し、「知遇を得て深く将来の運動上の事等を談合」したと竜馬は書き残している。
 維新後、平野は本木のあとをついで長崎製鉄所の所長となったが明治4年、同所が工部省へ移管されることに反対し辞職している(基本的に反骨精神の人なんだねぇ〜)。
 その後、本木の長崎活版所や東京活版所の経営に協力し、印刷機械の製作に従事した。また明治9年、海軍省から石川島修船所を借り受け、石川島平野造船所(現在の石川島播磨重工業)と称し、鋼鉄や軍艦などの製造に活躍した。

 造船、鉄鋼、海運、鉱山開発、印刷と日本の根幹産業を軌道に乗せたのが平野だったというわけだ。しかし、そんな人物を見抜いた竜馬はやっぱりスゴイ!(笑)