長崎時代の竜馬・社中と亀山社中は違う!?

■竜馬の活躍の場所を大きく分けると4つある。高知、江戸、京都、長崎だ(あとは船の上!?)。

 長崎時代は元治元年(1864年)から始まる。、長崎に海軍伝習所の頭取として 派遣された竜馬は、勝海舟の紹介で西郷隆盛と知り合い、 薩摩藩の援助を得て、翌年、日本初の商社といわれる「社中」を設立。現在の長崎市の繁華街、浜の町アーケードの入り口付近にあった「土佐 商会」にいた時のこと。(そこには「土佐商会跡」の碑がある)。
 いわゆる「亀山社中」と呼ばれるようになったのは、後に「社中」が長崎市の伊良林にある 亀山と呼ばれる場所に移ってからなのだ(恥ずかしながら知らなかった笑)。竜馬は薩摩藩名義で武器や軍艦を購入し、長州に貸す。長州は米を薩摩に 送るという策で薩長同盟にこぎつける。この時、亀山社中が、武器や 軍艦の買い付けに走った先がグラバー商会というわけ。
 後に亀山社中土佐藩の所属となり「海援隊」と改称、本格的に仕事を始めることになる。

 長崎時代は、もっとも竜馬がやりたかったことなのではないだろうか。花月でもよく遊んだらしいし(笑)。
(写真は長崎・伊良林にある亀山社中の跡※写真は削除しました)


(→土佐商会跡の碑)