【今日の竜馬は?】決死の覚悟でいろは丸処理!?

●竜馬33歳・慶応三年(1867年)5月13日●

・『海援隊士達、別便で長崎に到着』
・『橋本麒之助をともない、高柳楠之助の宿をたずねる』
・『伏見寺田屋にあて手紙を書く』

 竜馬33歳の今日、いろは丸衝突・沈没事件の処理にさっそく取り掛かっている。高柳は、衝突した紀州藩の明光丸の船長。つまり、竜馬は談判するつもりで出かけているのだ。伏見の寺田屋へは、もしものときの後始末を女将のお登勢に頼む手紙を書いている。

 竜馬はこのいろは丸事件に真っ向から談判しているが、当時大藩である紀州藩にここまで真っ向から当事者同士が立ち会うということはあり得ないことだった。紀州藩は浪人である竜馬を甘くみたようだ。竜馬ももしかすると身の危険があるかもしれないと「信友のものといへども自然堂まで不参よふ」伊藤助大夫に数ヶ条の依頼書を発し、万一の場合「愚妻儀本国(土佐)に贈り返」すように長州藩三吉慎蔵に託している。

 竜馬もこの事件では命をかけて対処していたようだ。カッコイイねぇ〜
(写真はいろは丸の絵馬※写真は削除しました)