竜馬とたった一度の出会いで命を捧げた男

それが十津川(現・奈良県十津川村)郷士中井庄五郎だ。

 中井は弘化4年(1847)野尻に生れ、居合の達人で、?人斬り庄五郎?といわれた男だ。
 文久3年(1863)御所警衛のために上京している。慶応2年に長州藩品川弥二郎に頼まれて、新撰組の村岡伊介を一刀で倒したことは有名。その後も新撰組とは何度か衝突したが、そのたびに命をまっとうしている。竜馬とは伏見の船宿寺田屋伊助で同宿していたとき、竜馬が中井を呼んで一晩の酒の宴を設けた。そのとき、中井は対等に時勢を談じてくれたことに感激している。
 翌年、竜馬と中岡慎太郎が暗殺され、海援隊陸奥陽之助(宗光)に敵討ちのために声を掛けられたときに、即断してこの敵討ちに参加している。陸奥紀州藩三浦休太郎が主犯であると思い込み、中井を先鋒斬り込みのひとりにして天満屋を16名で襲撃(いわゆる天満屋事件)した。中井は三浦に一太刀浴びせたが、逃げられ、逆に新撰組の三番隊長・斉藤一に斬られて絶命している。このとき新撰組側は宮川信吉、海援隊側は中井ひとりが死亡している。享年21歳。

 いくら人斬りと云われていたとはいえ、たった一度、酒を酌み交わしただけで、中井に命を懸けさせたのは、やはり竜馬の人柄だろう。
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